どうすれば救えたか

修羅場は直接間接に経験してきたつもりでしたが、この間から報道されている虐待死は、記事にするのは重すぎて気が進まない事件でした。
特に、亡くなったお子さんがけなげすぎて。

それでも、なるべく感情的な部分を避け、一時保護措置などの事実を中心に、報道から抜き出してみます。


「パパ、ママいらん」でも「帰りたい」 亡くなった5歳児が、児相で語っていたこと

(ハフポスト日本版  6/7(木) 20:27配信)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180607-00010006-huffpost-soci

2016.8.25 近所の人が「子どもの泣き声がひどい」と児相(香川県西部子ども相談センター)に通報。

2016.12.25 一人で外に出されているところを、近所の人が目撃。
 通報→香川県警が保護→児相対応の一時保護。
 「下唇が切れ、まぶたの上にはたんこぶがあった」「日常的な虐待の傾向がある」(医師診断書等)

父は傷害容疑で書類送検(のちに不起訴)。

2017.1.29 親子面談。

2017.2.1 一時保護解除。

2017.3.19 一人で外にいたところを警官が目撃。
 けがをしている様子→署で身柄を保護→病院→一時保護。
 「舌が切れて唇に赤い傷があり、両膝には擦り傷、お腹には5cm程度のアザ」

2017.5 父は傷害容疑で書類送検(再び不起訴)。

2017.7.31 一時保護解除(おそらく児童福祉司指導への措置変更)。

2017.8.30 四国こどもとおとなの医療センターが児相に報告。
 「こめかみにアザがあり、太ももにもアザがある」。

「アザは数cmであったことと説明などから、児相は虐待と判断するかどうか見極めが厳しかった」
「一時保護をしたくても、2カ月以内の短期的な親子分離はできるが、長期的な分離を考えたとき家庭裁判所の許可が下りないレベル」と判断」。

2017.9.13 「太ももにアザ」。

2017.12 父が先行して東京に転居。

2018.1.4 体重増など健康状態改善。指導措置解除。

2018.1月中旬 東京に転居。

2018.1.23 (香川県側が調査して)転居先判明、品川児相へ連絡。

2018.1.29 「緊急性の高い案件」としてケース移管。担当者は「すぐにでも本人に会って確認をしてほしい。指導措置は4日に解除になっているが、指導を積極的に続けてほしい」と伝え、数百ページあった2016年8月からの全記録を送付。

品川児相は「転居で環境も変化している。どこまでできるか分からないが、対応は考える」と答えた。品川児相では緊急受理会議が開かれ、ケース移管の受理が決定。

2018.2.9 品川児相が家庭訪問。訪問の連絡をしていなかったこともあり、母は「弟はいるが、(本人は)出かけていていない」と答えた。

2018.2.20 小学校の説明会に現れず。

2018.3.2 本人死亡。

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もし、無理矢理、いわゆる「悪い順番」、責任が重い順番をつけるとすれば、
父、母(ここまでは犯罪の容疑者)、品川児相、香川県西部子ども相談センター、
ということになると思いますが、

ならば、どうすればお子さんの命を救えたか、ということを考えると、かなり難しい問題です。
(上の抜き書き以外に、訪問や通所や電話や関係機関との協議調整みたいな動きは多数あったようです。)

香川県側でいえば、2017年8月のときに、ダメ元で家庭裁判所が許可するか判断を仰いでみるか、
(親の同意がない状態での)正式入所が許可されなくても、可能な限り一時保護を継続、あるいは繰り返して、家裁の許可が得られるような材料を積み重ねていく努力をするか、ぐらいのことしか思いつきません。

以前に

高齢者の虐待ケースについても、踏み込む勇気を持ち続けたい(そして、そういう決断のできる市町村職員や地域包括支援センターを支援したい)ものですね。

極論すれば、公務員はこういう事態に身体を張って踏み込むためにこそ存在する。
首長の(往々にして選挙目当ての)耳障りのよいイベント類のために存在しているのではない。

結果として「勇み足」になったとしても、それをマイナス評価としない(たとえ、実際には虐待がなかった場合でも、緊急保護に動いた公務員の行為で何らかの補償が必要になったとしても、それは組織として対応すべき)、そういう考課システムが必要と思います。
https://blogs.yahoo.co.jp/jukeizukoubou/33504078.html

と書きましたし、その考え方は基本的には変わっていないのですが、やりきれない想いです。

ところで、品川児相や東京都の同様の部署の方、人員は足りていますか?