前の記事について、現在いわれる「グローバリズム」というものがいつまで続くか、という問題もあるのですが、それは(私にはお答えできない問題なので)置いといて。
A:技術と知識は伝播していく B:市場の近くで生産(そのための研究や開発を含めて)するのが効率的 C:日本のように人口が縮小に転じた国よりも、増加する国や地域の近くの方が有利 これらは、一理あるとは思います。 ただ、Aにかかわらず、西欧や北米で売れるものが全世界で売れるかといえば、そうではない。 その国や地域の文化、生活習慣などに適合した形に改良する必要があります。 その作業を行うのが、Bにあるように、その国や近隣諸国の方が有利か、といえば、 必ずしもそうではないように思います。 ひとつには、離れた方が見えやすいものがあるということ。 もうひとつ、近隣国同士は、往々にして関係が良くない場合があるということ。 インド亜大陸でいえば、ヒンズー教徒、イスラム教徒、仏教徒(南伝)などが混在し、 食文化におけるタブーも異なり、 ヒンズー教徒の中でもさまざまなカーストが存在し、 それらにこだわる人とこだわりの度合いが少ない人とが存在する。 中近東でいえば、イスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒などが混在し、 イスラムの中でもさまざまな宗派が存在する。 これらの地域では、たとえばインド人やユダヤ人の中に、 日本人などの一般的なエリートの知力や資力を超えるレベルの人々は希ではありません。 ですが、これらの地域のさまざまな文化、生活習慣の人々に向けた商品を開発するのは、 むしろ遠く離れた日本人などの方が向いているともいえます。 ひとつは、歴史的にも宗教的にも縁の薄かった日本人は、「利害関係」が希薄で、特定の国や民族に恨まれる要素も少ないこと。 もうひとつ。濃厚な宗教的タブー(食生活など)を持たないが故に、逆にさまざまな生活文化に対する偏見も希薄であること。 さらに、自国が諸外国から流入する文化を咀嚼して受け入れてきた歴史があり、ある種の応用力があること。 もっとも、そういう背景で日本人が商品開発を行い、それが成功すれば、他国(あるいは多国籍企業など)に真似されることは、当然起こるでしょう。 その意味で、上のA~Cは正しいともいえます。 でも、他国が真似するまでにそこそこ儲かり、初期投資+アルファが回収できれば、そしてその過程の中でその国の文化がなにがしか豊かになり、その国の人々の対日感情が良くなれば、それはそれでいいんじゃないのかな、とも思います。
と、ここまでが前置きです(笑)
国同士の話ではなく、個人や家族の問題に置き換えて。
固有の生活習慣を持った個人や家族に、何らかの技術の導入を勧めるとします。
それらは便利なものかもしれませんが、勧める人が押しつけるのではなく、
本人や家族が、自分たちの生活の中に適合するかどうかなど、考えて話し合って決定するものです。
本人や家族が、自分たちの生活の中に適合するかどうかなど、考えて話し合って決定するものです。
なんとなく、構図が似ていますね。
何らかのものを何らかの集団に導入するに際して、その集団の生活習慣などに配慮しながら調整していくこと。
こういう分野は、日本人にとって、けっして苦手な仕事ではないのだろうな、と思ったりもしています。