性別変更の夫 父と認定

性別変更の夫 父と認定 最高裁 血縁なくても親子

 性同一性障害で性別を女性から男性に変更した兵庫県宍粟市の夫(31)とその妻(31)が、精子提供で出産した男児(4つ)の父親を夫と認めるよう求めた審判で、最高裁第三小法廷(大谷剛彦裁判長)は夫妻の申し立てを退けた一、二審の判断を破棄し、夫を父親と認める決定を出した。

 性同一性障害をめぐる初判断で、決定は十日付。民法は、妻が婚姻中に懐妊した子を「夫の子と推定する」と規定しており、性別変更した夫の子にも及ぶかが争点だった。

 決定は、性同一性障害者が自ら望む性別を選べるようになった二〇〇四年施行の性同一性障害特例法を踏まえ、「男性に性別変更した者は夫として結婚できるだけでなく、婚姻中に妻が懐妊した子についても民法の規定により、血縁関係がなくても男性の子と推定されるべきだ」との判断を示した。戸籍の「父」の欄に夫の名前が記載される。

 判事五人中三人の多数意見。大谷裁判長ら二人は「特例法は、性別変更した性同一性障害者が実子を持つことを想定していない」と反対した。

 決定によると、夫は性別変更後の〇八年に結婚し、翌年に妻が男児を出産。昨年一月に本籍地の東京都新宿区に出生届を提出したが、区は父親欄を空欄にしたため、夫妻は訂正許可を求め家事審判を申し立てた。

 東京家裁は「男性としての生殖能力がないのは明らかで、実子とは推定できない」と申し立てを却下、東京高裁もこれを支持した。


 性同一性障害で性別変更した人の婚姻は増えており、多様化している家族関係を反映した法整備を求める声が強まりそうだ。


(一応、ここまで引用)
 
裁判官の判断が「3対2」と分かれました。

婚外子相続格差の違憲判断」では「14対0」でした。
http://blogs.yahoo.co.jp/jukeizukoubou/32411456.html

国民の間でも意見が分かれそうな問題で、
判決自体よりも「全員一致」という結果に違和感を覚えたのですが、
今回の「3対2」というのは、ある意味ほっとしました。

それにしても、裁判長は自分自身の意見とは異なる判決を言い渡さなければならないのですね。
当然といえば当然なのでしょうが。

記事では、この後、「差別解消へ法整備急げ」として、鬼木洋一氏の<解説>が続いています。
一部引用しますと、



 ただ、判断の対象は性別変更で男性になった父と子の関係に限られ、男性から女性になった母と子には適用されない。「出産した女性が法律上の母」とする過去の最高裁判例があるためだ。代理母出産では、出産を依頼した女性は法律上の母にはなれずにいる。


 正式な婚姻関係にある夫婦から生まれながら、差別的な扱いを受ける子は増える一方だ。この現状にどう向き合うのか。今回、司法は一定の役割を果たしたが、子の法的位置付けを明確にするには、なお十分でない。国会こそ法整備を急ぐべきだ。



法整備が必要ということ自体は、私も同意します。
ただ、私自身は
「特例法は、性別変更した性同一性障害者が実子を持つことを想定していない」
という少数派の裁判官2名と同じ意見なんですよね。


本件に関して、もっとも重視すべきなのは、子どもにとって最善は何か、ということだと思います。
「差別的な扱い」といいますが、生物学的に実子が生まれない関係の夫婦に、「実子」は必要なのでしょうか。
たとえば「特別養子縁組」という制度がありますが、それに準じるような親子関係では駄目なのでしょうか。
子どもには、実親を知る権利はないのでしょうか。
子どもが成長して、生物学上の実親を知りたいと思ったとき、それをたどることができるような余地を残すことは許されないのでしょうか。
(これらの問題は、生殖医療関係全般の課題でしょうが。)

根底には、養子、あるいは里親制度での里子などに対する差別意識がないでしょうか。
そのあたりを含めて、広く国民の意識も調査した上で、「性別変更者だけを救済する」のではない法整備を検討するべきだと私は考えます。