さらに措置について考える

「考える」というより、夢想する・・・とまではいかないにしても、かなり脱線している感じはしています。


極端な例を挙げます。


高いビルの屋上から飛び降りようとした人間を発見して、羽交い締めして止めたとしても、一般的には犯罪にはなりません。
公務員ではない人が行ったとしても同じですし、万一裁判になったとしても損害賠償を求められることもないでしょう。


一方、飛行機に乗ろうとした他人を「飛行機は落ちる危険性がゼロではない」という理由で監禁拘束したら、一般的には犯罪です。


この間に、無数の事例があるのでしょう。行政の措置、民事を問わず。

たとえば、火災を起こす危険がある、という理由だけで、ひとり暮らし高齢者を本人同意なく入所措置することはできないと私は思います。

では、虐待の場合は?
生命の危険性がどの程度なら?


その場その場で、関係者が必死に考えて、もちろん同意を得られるよう懸命に努力して、
それでもダメなときに(ここまでで相当にふるいにかけられていると思いますが)
判断せざるを得ないのだろうと思います。


その結果、本人あるいは身内から不服申立や裁判などの手続きを起こされたとして。

(個人的には、加害者である家族が何か主張したとしても裁判所が軍配を上げるするとは思えないし、本人が法的手続きを起こすことも、そうないと思いますが)
万一、同意なしの入所措置にゴーサインを出した市町村長が損害賠償を求められて敗訴したとして。

いいじゃないですか。
(いや、よくはないのですが。)

手つかずで、同意がないまま、いのちを失うよりも。

私が有権者なら、その次の選挙でも、その首長に投票しますけどね。
(まあ、そういう問題ではないのですが。)

当事者、可能なら関係者の意見、意思は尊重すべきですが、
明確に禁止されていない以上、当事者の意思に反して(渋々の同意を含む)措置するのも行政の責務ですし、民生委員や近隣関係者の全てが措置を望んでいても(冷静な判断により)措置しないという決定を行うのも行政だと思うのです。


ううん・・・ますます、わからない話になってしまいました。

どなたさまも、無理にコメントしていただかなくてもけっこうですので。