選択別姓への懸念等について

「婚姻制度等の見直し審議に関する中間報告及び報告の説明」(以下、この記事で単に「中間報告」というときは、これを指します)のうち、夫婦の氏(姓)についての部分を見てきました。

 

試案A・B・Cのうち、A案を基軸にして少し修正、という中間報告の方向で(国会等で)議論をしていくのが妥当と思います。
夫婦別姓は選択可能。その場合、子の姓を父母のどちらと同じにするか、婚姻時に決めておく)

 

なお、自民党内保守派には、C案の「婚姻前の姓を通称使用することを法律で認める」でよいのではないか、と主張する意見もあります。
中間報告では否定的でしたが、それはそれで並行して議論を進めていってもよいように私は思います。
選択別姓制度が実現するのに時間がかかるとすれば、それまでに「通称使用の正式制度化」により救われる人(いくらかでも生きやすくなる人)がいるでしょうから。

 

では、中間報告の案(修正A案)に対する批判、懸念等に対して、思うところを書いていきます。

 

1)夫婦同氏制は、我が国の伝統であり、社会に定着している。

これについては、「いわゆる夫婦同姓は日本の伝統か?」という記事で反論済です。
https://jukeizukoubou.blog.fc2.com/blog-entry-383.html

制度的には、明治9年3月17日太政官指令では、夫婦別氏(別姓)制が原則です。
明治31年民法(旧法)で、初めて夫婦同姓が法制化されました。

なお、明治以前は一般の庶民は(法的に使用できる)苗字はありません。
屋号のようなものを名乗る場合はありましたが、そもそも正式なものではなかったので、通称みたいなもの。
武士や、特に許された有力者は(当然)正式に名乗っていましたが、いわゆる夫婦別姓です。
(「姓」と「名字(苗字)」の混同の問題についてもリンク先で触れています。)

 

2)夫婦別氏制は、婚姻の意義を薄れさせ、家族の秩序を維持する上で好ましくない。

まず、「夫婦別氏制」ではなく「選択別氏(別姓))制」です。
同姓でないとうまくやっていく自信がない、というような方は、当然、同姓で結婚可能です。

それで、氏(姓)が異なったら「婚姻の意義が薄れ」「家族の秩序が維持できない」というのは、どんな根拠によるものでしょうか?
世界の選択別姓の多くの国々も、現在の日本で例外的に別姓になっている夫婦(国際結婚など)も、姓が違うから結婚がうまくいかない、という話は聞いたことがありません。
「別姓を維持したいから事実婚を選択」という内縁夫婦についても、別姓だから家族の一体感がないとか、破綻したとかいう例を私は知りません。
(医療侵襲同意とか相続とか、社会制度の不備のために不便を感じたという人はいますが、それは選択別姓制度が実現すれば解消するはずです。)
2は、反対論者の脳内にしか根拠らしきものはないと思います。

 

3)夫婦別氏制の下では、子の氏の決定に関する問題が生ずる。

これは、中間報告で採用された「子の姓を父母のどちらと同じにするか、婚姻時に決めておく」という方法で、問題は生じなくなります。
ただ、たとえば夫の姓を名乗ることとした場合に、妻の姓が子に継承されなくなるということになります。
この問題は、別姓家族では子が成人後に自己の意思で改姓を選択できる(たとえば家庭裁判所の手続きを経て)、という方法で補うことが可能になります。

 

4)別氏であることを希望する人は、現実には極めて少ない。

「希望者が少ない」ということは、「必要性が少ない」ということと同義ではありません。
少数でも困っている人がいれば、それは救済するのが政治の役割ではありませんか?
LGBTQは少数ですが、無視してもいいのですか?

 

5)婚姻により氏を改めることの不利益は、婚姻前の氏を通称として使用することにより、回避することができる。

「通称使用」というのが、どの程度の強固さで社会で認められるのか、ということにかかってくるのではないかと思います。
現状でも、国会議員など政治家は旧姓で(どころか芸名でも)立候補可能ですが、そういうことが認められていない職業、立場の人もいます。
看護師など免許類の変更手続きが不要になるか、少なくとも手数料が全く不要になるか、ぐらいは最低でも必要ではないでしょうか。
「通称使用拡大」で何とかなる、って自民党保守派などで主張している人たちは、「やるやる詐欺」にならないように、具体案を提示してください。
不利益回避になるかどうかは、その内容を見てからでないと判断できません。
早急に具体案が出てこないのなら、やはり選択別姓制度を進めましょう。