前記事のついでに書いてしまおう。
だいたい、前回衆院選の民主党の勝利は、民主党のマニフェストが支持されたからとはいえない。
自公政権を支持しない人たちが、受け皿として(他に有力な選択肢がなく)選んだのが民主党、というのが実態に近いと思う。
また、仮に、百歩譲って、いや百万光年ぐらい譲ったとして、A党の公約が100%支持されるというのは難しい。
100%の有権者に支持されるのは難しい、という意味ではない。
ひとりの有権者から見ても、いくつか並べた公約の全てを支持するのは難しい、という意味だ。
もちろん、セットで考えるべき公約もある。
たとえば、A党は高福祉高負担、B党は低福祉低負担を主張している場合、福祉はA党、負担はB党というわけにはいかない(システムの効率化など、多少の工夫の余地はあるにしても)。
これまでに出されてきたマニフェストは、いわば「定食」だから、その中には食べたくないものもある。
民主定食をベースにし、自公定食や、他党のメニューからも、よいおかずをもらって入れ替える。
それを話し合うのが国会のはずだが、それをしようとすると「民意を問うべきだ」というマニフェスト原理主義者、選挙原理主義者がいる。
困ったものだ。
まして、この国難。
「マニフェストを打ち出したときとは条件が変わった」
と言って、3月11日か12日にでも「白紙化」を主張する与党の政治家がいてもよかったと思うし、非常時のそういう判断を含めて国民の代表として選出されたのだと思うのだが・・・
蛇足
選挙に勝てば何でもできる(法の趣旨に反することでも)と思っている首長がいるなら、それは大きな間違いだ。