ローマ人の物語

3月の震災の頃から、ときどき「ローマ人の物語」シリーズを読み返している。
塩野七生氏によって1992年から2006年にかけて毎年刊行された、全15冊の大作である。

「塩野史観」とも言われることがある独特の考え方、「世間」とは異なる人物評価などもあるが、この量の歴史物としては読みやすく、特に興隆期の戦闘場面などはおもしろい。

で、歴史文献、というよりは歴史小説という方が実態に近いと思われる著作を、現在の日本と比較するのは野暮とは思うが、それでも比較せざるを得ない。

共和制ローマでは、通常は執政官が最高責任者である。
民集会で2名が選出される。

執政官の権限は平等で、それぞれが拒否権を持つので、2名の意見が異なり、協議しても妥協が成立しなければ政策は実行できない。

それでは緊急時(戦時や大災害時など)は困るので、独裁官という制度がある。
執政官のうち、どちらか1名が独裁官を指名すると、他の執政官を含めた全役職が独裁官の指揮下に入る。

ただし、独裁官の任期は半年と決まっている。
さらに、自分の仕事(対外戦争の勝利)が済むと、任期が5か月以上も残っているのに、さっさと退任した人物もいたという。

一方、現代日本の二院制国会。

衆議院参議院とで多数党が異なるのは、執政官2名体制と似ていないこともない。
国難とも言われる大災害でも、満足に妥協が成立しないのだから、執政官2名の意見が対立しているのと同じ状態といえる。
ノブレス・オブリージュ=高貴なる者が負うべき義務=を自覚・実行していた古代ローマのリーダーたちと、現代日本の政財界のトップを比較することは、ローマ人たちに失礼なことではあるが。)

「凡なる一将は優秀な二将に勝る」
「船頭多くして、船山に登る」
などという。

まして、現与党と最大野党との間に本質的な能力差があるとは(一般的な国民の目で見て)思えない。
震災直後、誰でもよいから、共和制ローマ独裁官に当たる権限を与え、震災、津波原発事故の対応に尽力させ、半年後にその評価を行う。
そういう選択ができたらなあ、と、半年経ってもさほど成果が上がっていないように見える現状から、夢想してしまうのである。

まあ、今回の災害については、今から言っても仕方がないことなのはわかっている。
ただ、「ねじれ国会」時の危機管理を、議会制民主主義の範囲内で行える工夫について、真剣に考えて行くべきではないかと思う。
これから先、起きない方がよい国難に備える意味でも。