いわゆる夫婦同姓は日本の伝統か?

法務省サイトより
「選択的夫婦別氏制度について」
http://www.moj.go.jp/MINJI/minji36.html

「我が国における氏の制度の変遷」
http://www.moj.go.jp/MINJI/minji36-02.html
徳川時代
 一般に,農民・町民には苗字=氏の使用は許されず。

明治3年9月19日太政官布告
 平民に氏の使用が許される。

明治8年2月13日太政官布告
 氏の使用が義務化される。
  ※ 兵籍取調べの必要上,軍から要求されたものといわれる。

明治9年3月17日太政官指令
 妻の氏は「所生ノ氏」(=実家の氏)を用いることとされる(夫婦別氏制)。
  ※ 明治政府は,妻の氏に関して,実家の氏を名乗らせることとし,「夫婦別氏」を国民すべてに適用することとした。なお,上記指令にもかかわらず,妻が夫の氏を称することが慣習化していったといわれる。

明治31年民法(旧法)成立
 夫婦は,家を同じくすることにより,同じ氏を称することとされる(夫婦同氏制)。
  ※ 旧民法は「家」の制度を導入し,夫婦の氏について直接規定を置くのではなく,夫婦ともに「家」の氏を称することを通じて同氏になるという考え方を採用した。

昭和22年改正民法成立
 夫婦は,婚姻の際に定めるところに従い,夫又は妻の氏を称することとされる(夫婦同氏制)。
  ※ 改正民法は,旧民法以来の夫婦同氏制の原則を維持しつつ,男女平等の理念に沿って,夫婦は,その合意により,夫又は妻のいずれかの氏を称することができるとした。

いろいろ調べてみると、実は、上の法務省の資料も厳密には正確と言い難い面があるようです。

まず、徳川時代の庶民でも、通称としての家の名乗り(屋号みたいなものか)はあったようです。

また、根本的にわかりにくくしているのが、「姓」「名字(苗字)」の混同。
明治期以降では、姓も名字も同じ意味で、法的には「氏」という表現に統一されていますが、
古代から中世にかけては、源平藤橘(源氏、平氏藤原氏橘氏)など天皇から賜ったということになっている「姓」と、自分で居住地、所領などの地名を名乗った「名字(苗字)」とは明確に区別されていたようです。

たとえば、足利尊氏の本姓は「源」なので、正式には「みなもとの たかうじ」。

ついでに、「夫婦別姓が伝統的」という主張の根拠としてよく使われる「北条政子」は、正式には「平政子(たいらの まさこ)」。
日野富子」は、「藤原富子(ふじわらの とみこ)」となるようです。
(姓と名字の区別が薄れてきた近世以降の研究者により「北条政子」「日野富子」という呼び方が主流になった、との説があるようです。)

ただ、源頼朝と結婚したからといって「源政子」と呼ばれたり、足利義政正室になったからといって「足利富子」と呼ばれたりはしていないと思いますし、少なくとも私はそのような文献を(間接的にでも)知りません。

(ただし、いわゆる婿養子に入った男性は、妻の名字を名乗った例はあります。というより、名字を継ぐことを前提の婿養子でしょうから。)


今後、民法上の制度をどうするかは難しいところだとは思います。
ただ、
夫婦別姓(厳密には「別氏」)が日本本来の姿とまでは断定できない
とは思いますが(本来の意味の夫婦「別姓」なら、古代からの伝統でしょうが)、

少なくとも「選択別姓(別氏)」が日本古来の伝統に反するという根拠は乏しい

とはいえると思います。

ちなみに、介護報酬の体制届に添付されている看護師や介護福祉士などの資格者証の写しを見ると、改姓手続きされていない方が意外にあります。
社会的コストは、別姓の方が軽くなる可能性が高いように感じています。