首相秘書官のオフレコ発言

いろいろ報道・情報がありますが、今回は2件を一部引用。

 

首相秘書官差別発言の”オフレコ破り”報道は「個人の内心をだまし討ちで暴露した」のか
江川紹子 ジャーナリスト・神奈川大学特任教授 2/8(水) 7:01
https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20230208-00336121

 

 共同通信の報道によれば、記者たちと荒井氏の間で交わされたやりとりは、次のようものだった。

記者 岸田文雄首相は国会で同性婚制度導入に関し「社会が変わっていく」と答弁した。

荒井氏 社会の在り方が変わる。でも反対している人は結構いる。秘書官室は全員反対で、私の身の回りも反対だ。

記者 世論調査で若手の賛成が増えている。

荒井氏 何も影響が分かっていないからではないか。同性婚導入となると、社会のありようが変わってしまう。国を捨てる人、この国にはいたくないと言って反対する人は結構いる。

記者 悪影響は思いつかない。

荒井氏 隣に住んでいたら嫌だ。見るのも嫌だ。人権は尊重するが、選択的夫婦別姓よりは同性婚の方がインパクトが大きい。

 「隣に住んでいたら嫌だ。見るのも嫌だ」という発言は、明らかに性的少数カップルに対する差別であり、憎悪を放つヘイト発言とも言える。荒井氏は、首相の国会での演説や答弁などの作成に携わるスピーチライーターも務めている、とのことだ。そうした人が、これだけ人権意識に欠落した発言をした事実は、報じるに値する公共性・公益性があると言えよう。
<引用ここまで>

 


LGBT見るのも嫌」で更迭された荒井秘書官 SNS上は毎日新聞“禁断のオフレコ破り”に賛否
デイリー新潮 2/8(水) 11:01配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/ce2ded9554d1a5c7c811e4086b8837d4dfe21d8b

 

 荒井氏の発言を報じる記事で意外なほど触れられなかったことが、「オフレコ」にも種類があるという事実だ。

「オフレコと言っても2種類あります。一つは『完オフ(完全オフレコ)』と呼ばれ、特に政治の世界で、政権や政治家が報道機関に背景説明を行うため機微に触れる情報を明かして喋るような場面で用いられます。この場合は記事を書くことも許されません。もう一つが『オフレコ』で、これは被取材者の身元を守るために使われます。今回の場合、荒井氏の名前さえ出さなければ、記事で発言を引用することも可能です」(同・記者<引用者注:担当記者>

 岸田首相は2月1日の衆院予算委員会で、同性婚に関して「社会が変わっていく問題」という認識を示し、この発言は問題ではないのかという声が上がった。

 記者団は3日の夜、「首相の発言は問題ではないのか?」と荒井氏にオフレコを前提として取材。これに荒井氏は「社会の在り方が変わる。でも、反対している人は結構いる。秘書官室は全員反対で、私の身の回りも反対だ」などと答えた。

「このやり取りを元に、『首相周辺でも「同性婚導入で日本社会が変わってしまう」という意見は根強い』とか、『驚くべきことに、LGBTの当事者が「隣に住んでいたら嫌だ。見るのも嫌だ」と放言した官邸スタッフさえいた』といった批判記事を掲載しても、オフレコの約束は守ったことになります」(同・記者)
<引用ここまで>

 


では、私の意見です。
更迭された秘書官の問題は、3点ぐらいあると思います。

1)メディアのいう「オフレコ」を信じすぎたこと
 (オフレコについては後述予定です。)
2)個人的感情を話すことは秘書官の仕事ではないこと
 (首相のスケジュールの確認や、「配布資料の写真が見づらいからデータで送ってほしい」などの事務的対応なら仕事)
3)他の秘書官の意見(「秘書官室は全員反対」というのが事実かどうかは別にして)について、(たぶん)承諾を得ずに発言したこと

「隣に住んでいたら嫌だ。見るのも嫌だ」という感情を持つこと自体はペナルティを受けるものではありません。
内面の感情の規制は、人権上問題があるだけでなく、実際上も無理です。

ただ、私とは異なります。
私が隣人に望むことは、
・分別などゴミ出しのルールを守ること
・騒音や悪臭など迷惑を及ぼさないこと(小さい子が多少騒ぐぐらいは容認)
・その他、法令などの規範に違反しないこと
というぐらいでしょうか。

 

ついでにいえば、日本社会には、もともとLGBTか、少なくともその一部については許容してきた伝統があります(だから「社会の在り方が変わる」という発言は疑問)。
たとえば、戦国三傑といわれる、織田信長豊臣秀吉徳川家康
このうち、信長、家康は、それぞれ一部の家来と同性愛関係(衆道)であったことは知られています。
秀吉にはそういう傾向はなかったようですが、純粋異性愛者の秀吉は子孫が残らず、バイセクシャルの信長、家康の子孫が残っているのは歴史の皮肉かもしれません。生産性云々という政治家発言もありましたが。

 

さて、「オフレコ」について。
上のリンク先以外の情報も含めて考えて分類してみます、

A)完全オフレコ(記録も報道もしない。でも記者の記憶には残るから、今後の報道等の参考にはする)
B)実名では報道しない(デイリー新潮にあるように「首相周辺で・・・という声もある」のような報道は可とする)

で、上の江川氏の文章によれば、もうひとつ、

C)一応オフレコとするが、内容によって報道する価値が高ければ高いとメディア側が判断すれば、その限りにあらず

というのもあるようです。

それ、社会的に(たとえば一般の国民を含めて)周知されていますか?

まあ、官公庁、政治家などは、Cの可能性について知っているか、念のため用心しておくか、が求められている、というのがマスメディア関係者の常識というか言い分なのかもしれません。
もしそうであっても、そのことについて、明示しておく必要があるのではないでしょうか?
少なくとも、今回、オフレコ破りをした毎日新聞社は、国民に対しては、オフレコというもののルールを同社がどう考えて、どのように報道を決意したか、もっとていねいに説明すべきではないかと思います。