杉原千畝氏の資料、記憶遺産申請へ

杉原千畝氏の資料など2件選定 ユネスコ記憶遺産候補

中日新聞)2015年9月24日 13時57分

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の国内委員会は24日、2017年にユネスコ記憶遺産への登録を目指す国内候補に、第2次世界大戦中にナチス・ドイツの迫害から多くのユダヤ人の命を救った岐阜県八百津町出身の外交官・杉原千畝(ちうね)氏(1900~86年)の関連資料と群馬県高崎市の上野(こうずけ)三碑(さんぴ)の2件を選んだと発表した。17年夏にユネスコ国際諮問委員会が登録の可否を審査する。

 幼少期を八百津町で過ごした杉原氏は、駐リトアニア領事代理だった1940(昭和15)年、ユダヤ人難民をナチス・ドイツから逃すため、外務省の訓令に背いて日本通過査証(ビザ)を発給した。約6千人の命を救ったとされ、発給ビザは「命のビザ」として世界的に知られる。

 記憶遺産は歴史的な文書や絵画、写真などが対象。八百津町は戦後70年を機に、戦争の悲惨さや命の大切さを後世に伝えようと、杉原氏がビザを手書きしたパスポートなどの関連資料の登録を目指すことを決め、6月、国内候補を決めるユネスコ国内委の公募に申請していた。

 公募には全国から計16件の申請があり、杉原氏の関連資料のほかは朝鮮文化の石碑文化の影響を反映した7~8世紀の3つの石碑、上野三碑が国内候補に選ばれた。八百津町などは16年3月、登録のための申請書をユネスコ本部に提出する。

 記憶遺産の審査は2年に1度あり、一国につき2件まで申請できる。申請者が保存と公開の体制を整えていることが条件で、八百津町は、杉原氏の資料を保管し、功績を紹介する記念館を運営している。
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2015092490112034.html


以前、「私の好きな日本人」という記事で触れた、杉原千畝氏。
http://blogs.yahoo.co.jp/jukeizukoubou/32515749.html

ユネスコの記憶遺産として関連資料が残されていくとすれば、日本だけでなく、世界史的レベルで意義が大きいと思います。
あの時代、ドイツの同盟国としての外交官でありながら、多くのユダヤ人を救った人間がいたということで。

報道以上の内容はわかりませんが、こちらの「杉原千畝記念館」などの資料が中心になるのではないかと思います。
http://www.town.yaotsu.gifu.jp/contents/view.cfm?id=911&g1id=4&g2id=18

また、杉原氏が発行したビザによって入国した敦賀港の、「人道の港 敦賀ムゼウム」も、一度は行ってみたいと思います。
http://www.tmo-tsuruga.com/kk-museum/

こちらは、ポーランド孤児の救済にも関わった港です。