ついでに自民党改憲案

安全保障法案をめぐる与野党の議論の中で、「徴兵制につながる」というような主張が、たしか民主党あたりから出てきたときに、憲法の制約や、徴兵制の必要性の低下(徴兵制を廃している国が多い)などの理由で安倍首相は否定していたと記憶しています。

私も現行憲法の条文からは徴兵制はあり得ないと思っていましたが、
「戦争行きたくないは利己的」と発言する(当時は)自民党議員もいらっしゃいましたし、

その武藤氏の発言を自民党の党首レベルが明確に否定したという報道も見ないので、ちょっと気になりました。
(ちなみに、武藤氏が離党したのはこの発言ではなく、犯罪かもしれない金銭トラブルのためのようです。)


で、自民党改憲案を見てみました。例によって、当方が注目した箇所のみピックアップ。
https://www.jimin.jp/activity/colum/116667.html


<赤色>は、自民党案で修正又は追加された表現(単なる文言の修正については触れていません。)


第一条 天皇は、<日本国の元首であり、>日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

これは文句というほどではありませんが、元首と明示しない方が(将来どこかの政党が国際的に責任を取らされるような失政を行ってしまったときに、天皇に責任が及ぶ確率が低くなるなど)よいように個人的には思います。


第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない
<2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。>

第2項で自衛権の発動を明確化。実は、私もこれは賛成です。
この後の第九条の二は、いろいろ議論があると思いますが、今回は省略。


第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、<常に公益及び公の秩序に反してはならない。>

この手の表現は、自民党案にはよく出てきます。公益はともかく、「公の秩序」で国民の権利を制限できることを明示するのはどうなのかなあ?(この件、後述する予定です。)


第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
<2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。>

ここでも出てくる「公益及び公の秩序」。
では、こちらを比較してみましょうか。

自民党
十三条 全て国民は、<人>として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、<公益及び公の秩序に反しない限り、>立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。

現行憲法
十三条 すべて国民は、{個人}として尊重される。幸福追求に対する国民の権利については、{公共の福祉に反しない限り、}立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

{青色}は、現行憲法の表現です。

個人 → 人
公共の福祉 → 公益及び公の秩序

たいして変わらないという見方もありますし、自民党案のように変えた方がよいという考え方もあるかもしれませんが、少なくともこういう部分に限っては、現行憲法の方が私の好みには合います。
(他の文言では、自民党案の方が日本語としてわかりやすいと思う箇所もあります。)
 
個人として尊重するではなく、家族や地域や他の集団としての尊重が主なのか、
誰の権利を侵害していないとしても、公の秩序に反すると政権担当者が考えれば権利を制限されるのか。

こういうことを考えると、そして「戦争行きたくないは利己的」という武藤氏の発言を安倍氏が明確に否定しなかったことも含めて考えると、徴兵制はないにしても民間資源(船舶や航空機、それを動かすための人員など)の強制徴用というのは視野に入っているかもしれない、と思ったりもします。
(意に反する兵役は苦役かもしれないが、もともと船や飛行機を操縦していた人が軍需物資等を運搬するのは苦役とはいえない、という理屈。そして、戦闘海域や空域を航行するのはイヤ、というと、「利己的」と批判されるわけで。)

そして、それを批判する個人の言論自体は否定されないにしても(自民党案の第21条第1項)、それを目的とした団体の活動は認められない(同条第2項)という読み方もできるように思います。

まあ、考えすぎ、という見方もあると思いますが・・・・・・私程度の(社会保障や税制についてはともかく、外交安全保障等については)平凡な国民がこういうことを考えてしまうような改憲案というのは、なかなか通すのは大変だろうと思います。