暇を見て読み返したりしていますが、量が多いのと、あの頃のいろんな想いが蘇るのとで、なかなか記事にはまとまりません。
本質的な、重い問題は、まだまだ無理かな・・・
その中で、被災地のマスメディアについての記事が目に留まりました。
神戸新聞社の7人の社員が肉親を失い、家屋が全半壊した社員は69人にのぼることが書かれています。
さらに。
本社ビルのほとんどのガラス窓が割れ、手前に傾き、コンピュータも完全にダウン。
かろうじて生き残った電話は2台のみ。
本社ビルのほとんどのガラス窓が割れ、手前に傾き、コンピュータも完全にダウン。
かろうじて生き残った電話は2台のみ。
以下、週刊文春より引用
このほかに、足りない電話回線を隣の歯科医院から借りたり、実母の死を隠して陣頭指揮をとった部長とか、瓦礫の中から「神戸新聞」の題字の版を見つけ出して9時間かけて京都まで送り届けた話とかが掲載されています。
こちらは、同誌の「実験隊転職体験シリーズ」の第1回目とされています。
生放送中に地震、停電、ザーッという無音状態、18秒後に自家発電装置に切り替わり、復旧作業を経て、わずか13分間の中断で放送再開。
以下、週刊宝石より引用
女性オペレーターの話として、
「個人的に別荘を開放します」
「美容師さんたちが○○公園で洗髪やカットの無料奉仕をしています」
などの情報も伝えていたそうです。
「個人的に別荘を開放します」
「美容師さんたちが○○公園で洗髪やカットの無料奉仕をしています」
などの情報も伝えていたそうです。
私は「文春」「宝石」以外に、新聞社系の週刊誌も保存していますが、ライバルともいうべき他のメディアについての記事が掲載されていたような記憶がありません。
(ちなみに、「神戸新聞は潰れたので」といって新聞勧誘に回っていた全国紙の勧誘員がいたとかいう話は、被災地に居住していた人から聞いたことがあります。私が直接聞いたのはプロ野球球団の経営に関わっている新聞ですが、他の全国紙もあった、との未確認情報も。)