琉球新報の社説より

介護保険「改革」 生存を保障できる社会に

琉球新報 2014年2月20日

 64歳以下の介護保険料が2014年度に月額5千円を突破する見込みという。社会保障の将来に不安が湧くが、ここは原点に戻って望ましい在り方を考えたい。
 社会保障とは、国民が「健康で文化的な最低限度の生活」(憲法25条)を送れるよう、政府や社会が行う経済的保障のことだ。つまり、ナショナル・ミニマム(最低限の生活)を保障できなければ社会保障とは呼べないのだ。政府は社会保障給付水準切り下げでナショナル・ミニマム達成を放棄してはならない。
 政府は今国会に地域医療・介護総合確保推進法案を提出している。法案が成立すると、比較的軽度な「要支援」は介護保険から切り離され、給付の対象外となる。
 この時期に介護保険料増加の情報を政府が流すのは偶然ではあるまい。保険料高騰を避けたいなら、介護保険が給付するサービスの切り下げを甘受せよ、と国民に迫るのが政府の狙いだろう。
 だが要支援者への支援を切り捨てれば、それらの人々の状態は悪化し、より重い「要介護」の人が増えてしまう、と専門家は指摘する。要介護者が増えると介護保険財政はかえって悪化する。財政の観点からも要支援切り捨ては得策と思えないのだ。
 確かに、11年の介護保険法改正で「介護予防・日常生活支援総合事業」(総合事業)が創設され、市町村が要支援者へのサービスを提供できることになった。そこで補完できるから介護保険から切り離してもいい、というのが政府の理屈だ。だが総合事業を導入した市町村は一部にすぎない。その上、サービスの担い手と想定するのはボランティアやNPOである。財源も給付費見込み額の3%が上限に据える。必要な介護を受けられない要支援者が続出するのは間違いない。
 現場では今ですら、要介護だった人を要支援に認定替えする例が増えていると聞く。改革案が実行されれば、軽度と認定されて行き場を失う「介護難民」が増えかねない。生活保護水準も既に切り下げられた。介護心中・自殺すら懸念されるのだ。
 そもそも消費増税社会保障の充実がお題目だった。だが社会保障改革の実態はむしろ給付水準切り下げだ。政府支出の増大は公共事業に振り向けられている。向かうべき方向性が逆だ。今こそ、国民の生存を保障できる方策について、議論を深めたい。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-219852-storytopic-11.html


琉球新報の社説です。
(真ん中へんの枠囲みは、引用者が行いました。)

同紙の他の社説については、賛同できるもの、疑問に思うもの、いろいろありますが、
今回の介護保険の問題、特に

「要支援者への支援を切り捨てれば・・・介護保険財政はかえって悪化する。財政の観点からも要支援切り捨ては得策と思えない」

という部分については、全く同感です。