飯館の人々のおにぎりが救う


 東日本で記録的な大雪となった先週末、福島市郊外の国道4号でも立ち往生したトラックや乗用車が行き場を失い、ドライバーは食べるものもなく途方に暮れていました。そこへ炊きたてのおにぎりを差し入れに来たのは、沿道の仮設住宅に暮らす福島県飯舘村民でした。持病のため運転席で意識を失いかけていた人が、温かいおにぎりで命拾いしたそうです。東京電力福島第1原発事故に伴う避難が3年近く続く村民たちは「これまで国内外からさまざまな支援を受けてきた、ほんの恩返し」と謙虚に振り返っています。

 福島県三春町のトラック運転手増子徳隆さん(51歳)は土曜日の15日午前、福島市への配送を終え、郡山市の会社に戻る途中でした。激しく降り続く雪で国道は大渋滞。福島市松川町付近で車列は全く動かなくなってしまいました。
 ペットボトルの水とお茶だけで一昼夜をしのいだ増子さんですが、翌16日、持病の糖尿の影響で低血糖状態に陥り、意識が遠のきました。ふと気付くと、車の窓をノックする音がしました。「おにぎり食べて」と差し出されました。

 誰だろうと不思議に思い、言葉を交わすと、国道を見下ろす高台にある飯舘村仮設住宅の人たちでした。前日から同じ車がずらりと止まり続けていることに女性たちが気付き、自治会長に炊き出しを提案したそうです。富山県高岡市のお寺から支援物資として仮設に届いていたコシヒカリが1斗5升ありました。急きょ集会所で炊き、20人ほどが自室からのりと梅干しを持ち寄って約300個握りました。

 炊きたてだから冷めないようにと発泡スチロールの箱に入れ、1メートル近い積雪をかき分けて国道沿いを歩き、1台1台車をのぞき込んでは1人1個ずつ渡して回りました。

 おにぎりを口にした増子さんは、おかげで意識もしっかり戻りました。「もったいないから半分にして、時間を置いて食べました。温かくて、おいしくて、一生忘れられない。仮設で厳しい暮らしをしているだろうに、こうして人助けをしてくれるなんて、頭が下がります」と言っています。

 仮設の女性たちは増子さんのこの言葉を聞いて「お腹が減っているだろうからと軽い気持ちだったのに、病気の人が命救われたと感謝してくれているなんて」と、涙を流して感激しました。婦人会長の佐藤美喜子さん(62歳)は「震災からこれまで、私たちは数え切れないほど多くの人に助けられてきました。今回のことで、またあしたから頑張ろうと私たちにも励みになりました」と話してくれました。

2014年2月20日 14時11分、共同通信福島支局長の高橋宏一郎さんの記事です。

共同通信の記事として昨日(19日)夕方に配信、福島民報福島民友を始めとした本日(20日)の各紙朝刊に多く載せてもらっています。このページをお借りして、さらに全国、全世界の皆さんにお伝えしたいと思います。

とのことなので、このブログで紹介させていただいても苦情は来ないでしょう。

文章は、さらに、飯舘村の村民約6600人のほとんどが村の外で避難生活を続けていること、
放射線量の差で、除染が済めば村に帰れる見込みがある地域と、帰還はまったく難しいという地域があること、
この先どうしていくべきなのか、どうなっていくのか、定まった見通しは誰にもないこと、
等の状況が書かれています。

そして、

 そんなじいちゃん、ばあちゃんたちが、大雪をかき分けて国道のドライバーを助けに回ったのです。まさに、助け、助けられて人は生きています。

ともあります。

私は、富山県高岡市の人たちの思いもつながったんだなあ、と思いました。

寒い雪道の、暖かい話でした。