<以下、抜粋です。>
佐瀬勇次名誉九段に入門、1963年四段となってプロ入り。
73年、第22期棋聖戦で初タイトルを獲得した。
85年に王将、棋聖、十段、棋王の4冠を達成した。
棋聖は計7期獲得し、永世棋聖を名乗る資格(通算5期)を得た。
03年12月、引退。以降、将棋普及を中心に幅広く活動。同年日本将棋連盟専務理事、05年からは会長を務めていた。
09年1月に、前立腺がんで治療を受けていることを公表。ホームページ上で、「癌(がん)ノート」と題して、状況を報告していた。日本将棋連盟などによると、前立腺がんが見つかったのは08年。今年初めのコンピューターとの対戦後に体調を崩して以来、一進一退を繰り返していた。約1週間前に東京都内の病院に入院したが、容体が急変したという。
タイトル獲得は名人1、十段2など計19期(歴代5位)、優勝回数16回。
通算成績は1103勝800敗1持将棋。<引用者注:持将棋=引き分け>
弟子に、先崎学八段、中川大輔八段ら。「人間における勝負の研究-さわやかに勝ちたい人へ」など著書多数。
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もちろん棋士として超一流でしたが、将棋界以外の世界でも知られていた方と思います。
将棋と軽妙なエッセイなどでは「さわやか流」と呼ばれたり、
「泥沼流」と自称する粘りを見せて終盤で逆転劇を演じたり。
独特の感性で「米長玉」と呼ばれる、端の香車の上に玉を寄せる形を多用したり。
歩_歩
_歩銀 ←「米長玉」は、こんなイメージですが、わかるでしょうか?
玉_金 敵陣の角のにらみなどから一歩避けて、8八(桂の上)から9九(香の上)に移動しておく形
香桂 です。横の方から飛車などで攻められた場合にも、1手遠い、という効果もあります。
また、運や勝負、幸運の女神などについての独特の哲学もあり、
「自分にとってはそれほど重要ではないが、相手にとっては重要な勝負」こそ力を入れるべき、という考え方は、
その後の将棋界でも広がっていきました。
下手な解説をすると、リーグ戦で、相手は負けるとリーグ陥落。
自分は優勝や昇格、陥落も関係ない(すでに残留が決まっている)。
そういう場合こそ、相手の立場に同情せず、全力で戦わなければならない、という考え方です。
自分が手を抜いて、目の前の相手が陥落を免れたとすると、他の誰かがリーグから落ちる、ということもあります。
たしか、米長さん自身、全力を挙げて勝利したおかげで、来季に昇級できたということがあったそうな。
将棋に関心のない方、わかりにくい話ですみません。
ガンと対峙しながら、ブログやツイッターなどで(この12月の初め頃まで)発信を続けてこられた姿にも敬意を表します。
ご冥福をお祈りいたします。