藤井四段の連勝記録で沸いた昨日、往年の名棋士の訃報が入ってきました。
将棋・大内延介九段が死去、75歳
(スポーツ報知 6/26(月)20:23配信)
日本将棋連盟は26日、大内延介(おおうち・のぶゆき)九段が、23日に75歳で亡くなったと発表した。葬儀は近親者のみで営まれたという。「お別れの会」は7月17日、東京・渋谷区の将棋会館で行われる。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170626-00000165-sph-soci日本将棋連盟は26日、大内延介(おおうち・のぶゆき)九段が、23日に75歳で亡くなったと発表した。葬儀は近親者のみで営まれたという。「お別れの会」は7月17日、東京・渋谷区の将棋会館で行われる。
以下、記事の続きや個人的記憶なども参考にしながら。
・振飛車党で、(当時は邪道扱いの)穴熊を駆使した豪快な気風で、怒濤流とも呼ばれた。
・六段でタイトル挑戦(1967年、王位戦)。これは当時は前例がなかった。結果は大山王位の前に敗退。
・全盛期の中原名人をあと一歩まで追い詰める(1975年、名人戦)。3勝3敗の最終局で優勢の局面から持将棋(双方入玉による引き分け)に持ち込まれ、差し直し局で敗北。
・1976年にタイトル獲得(第1期の棋王)。
・タイトル戦以外の一般棋戦の優勝も何回となく。
・六段でタイトル挑戦(1967年、王位戦)。これは当時は前例がなかった。結果は大山王位の前に敗退。
・全盛期の中原名人をあと一歩まで追い詰める(1975年、名人戦)。3勝3敗の最終局で優勢の局面から持将棋(双方入玉による引き分け)に持ち込まれ、差し直し局で敗北。
・1976年にタイトル獲得(第1期の棋王)。
・タイトル戦以外の一般棋戦の優勝も何回となく。
それ以外にも、将棋の歴史、日本将棋に至るまでの道筋の研究者として知られています。
そういえば、ずっと前に世界と日本の将棋について書いたことがありますが、
(このリンク先からの数記事)
https://blogs.yahoo.co.jp/jukeizukoubou/34349294.html
(このリンク先からの数記事)
https://blogs.yahoo.co.jp/jukeizukoubou/34349294.html
こういうことがわかってきたのも、大内さんなど、多くの研究者の方々のおかげでしょう。
お礼を申し上げるとともに、ご冥福をお祈りします。