「吉田知那美」論3

北海道銀行フォルティウスから離れた吉田知那美は、一人旅に出たという。
国内ばかりだが、かなりの距離を移動したようだ。


今でも知那美の移動能力は有名らしく、某巨大掲示板では、オフシーズンの彼女の出没情報から、「知那美は2人いる」とか「知那美はまたワープしたのか」などと書かれたりする。
ともかく、旅先でのさまざまな出会いは彼女を癒したらしい。

 

なお、知那美自身は、戦力外通告を受けたことについて、自分自身の技術やメンタルが及ばなかったから、というような話(あるいは文章による説明)をしていて、北海道銀行フォルティウス関係者への批判は、現在に至るまで一切していない。


私のように他者への批判が多い人間(このブログ自体がそうだ)は、どこまで本心かな、と勘ぐったりもしがちだが、悔しさを、古巣への批判ではなく自分自身が成長するためのエネルギーとして使ったことが、今の彼女を造ったのではないかとも思う。

 

その後、地元のカーリング俱楽部の納会で「巨人がダメなら阪神あるぞ」と酔っ払いのおじさんに言われたとか、煮込みハンバーグが名物の店で本橋麻里に勧誘されたとか、いろいろあって知那美はロコ・ソラーレに加入することになった。

 

 

本橋の著作(0から1をつくる 地元で見つけた、世界での勝ち方)には、「加入については色々な意見がありましたが」とか「最初はぶつかることもありましたが」などと書かれている。
このへんの詳細はわからない。

 

知那美が加入した2014-15シーズンからは、ロコ・ソラーレ創設時からのメンバーだった馬渕恵がリードからフィフスに移っている(そして、サードだった吉田夕梨花がリードに、知那美がサードに)。
しかし、馬渕の意に反してレギュラーから追い出すようなことは、本橋がやるとは思えない。
馬渕は2015-16シーズンにはチームを離れているし、それ以前にチームを離れた、やはり創設時のメンバー・江田茜を含めて現メンバーとの関係は悪くないようであるから、馬渕や江田の「本業」や彼女たち自身の意向を確認しながら、本橋が調整していった可能性が高いような気がする。

 

「ぶつかることもあった」という件については、先輩に遠慮するのではなく(本橋はもちろん、同級生の鈴木夕湖も、実妹吉田夕梨花も、チームとしては知那美の先輩だ)、フォルティウスとの練習方法の違いなど、チームのプラスになりそうなことに気がついたときは嫌がられても伝える、というようなスタンスだったからかもしれない。
なお、知那美自身は、「加入した直後は焦りもあったので」と、前述の本橋の著作に言葉を寄せている。

 

翌2015-16シーズンは、ロコ・ソラーレにとって大きな変化の年だった。
ソチ五輪出場を逃し、連覇を続けてきた日本選手権も下位に沈み、チームの活動縮小もあって中部電力を退社した藤澤五月が加入(これも煮込みハンバーグの店で本橋が勧誘したとか)。
その本橋は第一子妊娠でフィフスに移り、チームフジサワとしてスイープ革命にもいち早く対応し、日本選手権初優勝。世界選手権では(成人の)日本カーリング界初の銀メダル獲得(世界ジュニア選手権ではシムソンズが銀を獲得したことがある)。

 

その後、復帰した本橋がサード(+バイススキップ)やセカンドに入ったこともあったが、あまりよい結果に結びつかなかった。技術的要因というよりも、何かコミュニケーションなどの要因のように思われるが、結局はリードから吉田夕梨花鈴木夕湖吉田知那美バイススキップ)、藤澤五月(スキップ)の布陣で、日本代表決定戦、五輪本番と戦い、日本カーリング界初の銅メダルにつなげた。
本橋がフィフスに退いたのは、おそらく知那美あたりの進言もあっただろうが(そして本当にそうなら、この進言はかなり勇気が必要だっただろう)、受け入れた本橋が偉い。

 

ところで、前述の本橋麻里の著作は、講談社現代新書で手軽に入手できそうなのに、書店ではなかなか見つからず、取り寄せになってしまった。
しかも、2019年1月20日第一刷のまま、ということは、あまり世間に出回っていない。もう少し読まれてもいい内容だと思うのだが・・・

 

今日は吉田知那美さんの誕生日だそうで、それはおめでたいことだが、それとは関わりなく、もう少し続く。