「吉田知那美」論2

しかしながら、カーリングの日程終了後ではあったが、まだソチの選手村にいる間に、知那美は戦力外通告を受けた。
直接通告したのは外国人コーチということらしいが、戦力外という判断に至った理由や、決定した人物やその時期、通告がソチにいる間となった理由など、わからないことは多い。

 

もともと苫米地はソチ五輪までという予定であったようで、知那美と同じ2013-2014シーズン終了後にチームを離脱した。
2人に代わってチーム入りしたのが、吉村紗也香と近江谷杏菜だった。
吉村はジュニア時代(といっても大学でチームを作っていたためで、知那美や小野寺らと同学年)からスキップとして活躍し、近江谷はチーム青森の一員としてバンクーバー五輪の出場経験があった。
吉村は小笠原の後継者候補としての要素があったかもしれない。2人とも、身長157cmの知那美よりは体格に恵まれ(吉村は162cm、近江谷は165cm)、164cmの小野寺とともに強力なスイープ力なども期待された可能性がある。
なお、小笠原(156cm)、船山(153cm)はチームの中核で、放出することはあり得なかったのだろう。

 

チームの構想、構成の変更自体は、誰の発案だったにせよ、小笠原も船山も了解していて、その決定または内定は、ソチ五輪よりも前になされていた、と考えるのが自然だろう(確証はないが)。
だが、ソチ滞在中での戦力外通告については、2人の本意ではなかった、とする説がある。知那美の雇用者である北海道銀行(知那美は同行の嘱託職員だった)が、雇用契約を年度末(2014年3月末)に終了させるために解雇予告を2月中に行いたかった、という考え方で、私もこの説が有力であるように思う。
そして、誰が戦力外通告をしたか、ということにかかわらず、最終的な責任は雇用者である法人が負うと考える。

 

知那美の放出がチームにとって得策だったかどうかは別にして、雇用者が契約や関係法令に基づいて雇用契約を終了させることは問題があるとはいえない。
だが、このときの吉田知那美は、オリンピックの日本代表チームの一員だった。
カーリングの競技日程自体は終了していたが、オリンピック選手団の結団から、帰国して解団するまでは、日本代表チームとしてのパフォーマンスが優先する。たとえば五輪で活躍したから特別賞与を支給する、というような連絡はよいが、解雇というような不利益処分は、雇用契約労基法上の問題がなくても行うべきではなかった、と私は考える。

 

なに、別に帰国後、3月になってから、ねぎらいの言葉とともに去就について話し合ってもよかったのだ。
そうやって、もし退職が4月以降にずれ込んだとしても、半年ぐらい先になったとしても、北海道銀行のイメージ低下に比べたら、いち嘱託職員の人件費など安いものだ。
というより、カーリングを離れることになれば、知那美は自主退職した可能性が高く、そのことについては小笠原も銀行側に説明しただろうという説もある(未確認だが)。

 

断わっておくが、カーリング界に対する北海道銀行の貢献は大きいと思っている。
チームの運営資金だけではなく、カーリング大会の特別協賛など、広告効果を期待してのものにしても、得難い企業であることには間違いない。
それだけに、この戦力外通告にからむ対応はもったいないな、と思う。

 

ともかく、吉田知那美は2014年3月末をもって北海道銀行フォルティウスを離れることになった。

敵に回すと恐ろしい人物を自由の身にしてしまうことを「虎を野に放つ」などというが、このときの知那美についてはどう表現すべきだろうか。
「猫と思って放り出したら虎になって帰ってきた」というべきだろうか。
「追い出した座敷童子が成体になった」だろうか。

「猛獣使いを野に放った」というのが近いような気もする。
「猛獣」というのは、この場合は藤澤五月のことで、これは藤澤に対しても知那美に対してもほめ言葉のつもりである。

 

苦情が来なければ、続きます。