2010年代の激闘1

 日本女子カーリング史上、2010年代というのは、もっともおもしろい時代かもしれないと思っています。
 2010年代というより、バンクーバー五輪が終わってから平昌五輪で日本カーリング史上初の五輪メダル獲得まで、というべきかもしれません。

 たとえばざっと図にすると、こんな感じです。

 

 

1 常勝・チーム青森から覇権が去る

 チーム青森バンクーバー五輪後の2010年まで日本選手権を5連覇しました。小野寺歩選手退団後の「チーム目黒」として数えても4連覇です。
 しかし、目黒萌絵選手の引退、本橋麻里選手の離脱などにより次第に順位が低下します。

 

2 中部電力が日本選手権4連覇

 入れ替わって2011年から日本選手権を4連覇したのが、藤澤五月選手、市川美余選手らの中部電力でした。
 しかしながら、パシフィックアジア選手権などWCF(世界カーリング連盟)系の国際大会ではあまり活躍できませんでした。当時は王冰玉選手を擁する中国が強く、韓国とともに、日本代表が世界選手権に進むための大きな壁になっていました。この時期の「チーム藤澤」が世界選手権で残した成績は、2013年の7位が唯一です。

 

3 ロコ・ソラーレは予選全勝スタート

 チーム青森から離れた本橋麻里選手は、故郷の北見市常呂町ロコ・ソラーレを創立しました。このチームは、のちに吉田知那美選手や藤澤五月選手が加入してから強くなったようなイメージがあったのですが、実は日本選手権に初参加した2011年には予選リーグ(ラウンドロビン)を7戦全勝で首位に立っています。最終的には中部電力チーム青森に次いで3位になりましたが、スポンサー回りなど運営も自分たちで担いながらのこの成績は、本橋選手の能力の高さを表していると思います。
 また、のちに五輪メダリストとなる鈴木夕湖吉田夕梨花両選手だけでなく、馬渕恵、江田茜両選手も、ロコ・ソラーレ以前から日本選手権などの出場経験のある実力者でした。
 ただし、中部電力の壁は厚く、日本選手権で優勝するのは、ずっと後になります。

 

4 フォルティウスは負け越しスタート

 北海道銀行フォルティウスの本格始動は遅く、日本選手権は2012年が初出場です。その年、予選リーグは3勝4敗の負け越しとなり、最終結果は4位でした。
 その翌年、2013年の日本選手権では、中部電力ロコ・ソラーレフォルティウスの3チームが予選リーグ6勝1敗で並びました。その三すくみ状態のトップチームに、吉村紗也香選手が率いる札幌国際大学が4勝3敗で続きました。メンバーは、ほぼ常呂高校時代(WINS)と同じです。
 結局、中部電力が優勝、フォルティウスが準優勝でしたが、この4強の状態はしばらく続くことになります。

 

5 小笠原の勝負強さ

 2013年9月、その4強でソチ五輪の代表権を争います。この時点では日本は五輪出場権は確保できていなかったので、厳密には「ソチオリンピック世界最終予選日本代表決定戦」ということになります。
 2試合ずつの総当たり戦の結果、フォルティウスが1位、中部電力ロコ・ソラーレが同率で2位、札幌国際大学が4位となりました。
 まず、札幌国際大学が脱落。中部電力ロコ・ソラーレとのタイブレークを制してフォルティウスと対決しましたが、フォルティウスが3勝1敗で代表権を獲得しました。
 日本選手権では強さを見せていた中部電力ですが、ソチ五輪を目指す大事な場面で、フォルティウス小笠原歩選手が勝負強さを見せました。この後の世界最終予選で中国に次いで五輪出場権を獲得したフォルティウスは、本番のソチ五輪では、セカンドの小野寺佳歩選手のインフルエンザというアクシデントを乗り越え、日本カーリング史上最高の単独5位となりました。

 

(つづく)