2010年代の激闘2

6 戦力外通告を受けた吉田知那美

 ソチ五輪の後、まだ選手村にいる間にフォルティウス吉田知那美選手が「戦力外通告」を受けた話は有名ですし、このブログでも書きました。
 今夏、彼女はバレーボールの柳田将洋選手と対談をしましたが、その中で、


A「戦力外にしたことを絶対にみんなが後悔するような選手になってやる」


という気持ちだったのが


B「戦力外になったから強くなっていけた、という感謝の気持ち」


に変わってきた、と語っています。

朝日新聞デジタルの有料会員記事<ただし非会員でも読める範囲>「挫折を知り、強くなった2人 柳田将洋が吉田知那美から学んだ価値観」より。なお、A・Bは便宜上、私が付しました。)

 彼女はBの気持ちについては何度か明らかにしていますが、Aの気持ちについて表明するのは、私が知る限り、今回が初めてだったと思います。
 時が流れ、五輪で連続メダルも取り、結婚も決まって、これまで表出できなかった当時の感情を客観的に語れるぐらい落ち着いてきたということでしょうか。
 この北海道銀行フォルティウスの選手入れ替えは、吉田知那美選手だけでなく、やがて日本女子カーリング界全体に大きな影響を与えることになります。

 

7 フォルティウスの新体制

 苫米地美智子選手は岩手からの「単身赴任」ということもあり、もともとソチ五輪までの予定だったようで、2014年の日本選手権終了後にフォルティウスを離れました。吉田知那美選手も同時期に去り、次のシーズンには札幌国際大学を卒業した吉村紗也香選手と、事実上、休止していたチーム青森近江谷杏菜選手が加入しました。
 2015年の日本選手権では、産休を迎える船山弓枝選手がフィフスに退き、吉村選手がサード(おそらくバイススキップ)に、近江谷選手がリードに入りました。これで、スキップの小笠原歩選手は別にして、セカンドの小野寺佳歩選手を含め、身長160cm台の「大型選手」(海外チームに比べれば小柄ですが)が3人そろいました。
 このメンバーで2015年の日本選手権を制しましたが、翌2016年は3位に沈みました。その次の2017年の日本選手権では、復帰した船山選手が「古巣」のサード兼バイススキップに復帰しましたが、4位に終わり、その秋の平昌五輪代表決定戦に進むことはできませんでした。

 

8 中部電力の挫折と復活

 ソチ五輪の出場を逃した中部電力は、その直後の日本選手権で4連覇を達成した後、市川美余、佐藤美幸両選手がチームを離れました。翌年の日本選手権では、北澤育恵、石郷岡葉純両選手という新メンバーを加えて出場しましたが、6位に沈みました。
 カーリング活動の縮小を会社側が決めたという情報もありましたが、ともかく、失意の藤澤五月選手は退社し、故郷の北見市に帰ることになりました。
 翌2015-2016シーズンは雌伏のときで、清水絵美選手フォース、中嶋千秋選手サード(スキップ)というような体制で活動をつなぎます。
 そして、2017年の日本選手権では松村選手がスキップについて優勝し、その秋に平昌五輪の出場をかけてロコ・ソラーレと決戦を行うことになります。

 

9 ロコ・ソラーレのポジション変更

 フォルティウスから「放り出された」吉田知那美選手はロコ・ソラーレで再出発します。「彼女の悔しさがチームに欲しかった」と本橋麻里選手の著作に書かれていて、チームの強化の一因になったのはそのとおりなのでしょう。
 私が注目したのは、このとき、吉田知那美選手がサードに入ったことです。チーム創設以降、そこはほぼ吉田夕梨花選手の定位置でした。リードやセカンドは、鈴木夕湖選手や馬渕恵選手、2014年に離脱した江田茜選手らが入れ替わっていましたが。
 一方、知那美選手といえば、ジュニア時代はスキップ、フォルティウスではリード、ピンチヒッターだったソチ五輪ではセカンドなどを務めましたが、サードのイメージはありません。
 この体制を誰が提案したかは正確なところはわかりませんが、本橋オーナーが決定しなければ実現しなかったでしょう。
 結果的には、声の大きな知那美選手がサード兼バイススキップにつくことで、のちの藤澤五月選手の受け入れ態勢ができました。ウィックなどリード職人としての吉田夕梨花選手という副次的効果も大きかったと思います。

 

10 平昌五輪への道

 2015-2016シーズン、藤澤五月選手が加入し、本橋麻里選手が出産を控えてフィフスに退いたロコ・ソラーレは、日本選手権初優勝、世界選手権2位と快進撃を繰り広げます。
 本橋選手が復帰した2017年の日本選手権では、本橋選手がサード兼バイススキップ、知那美選手がセカンド、調子を落としていた鈴木選手がフィフスで臨みました。結果は中部電力に負けて準優勝。
 この後、本橋選手はフィフスに戻り、セカンドには鈴木選手が復帰します。サードはもちろん知那美選手です。
 この頃、サードとしてのショットの安定感は、あるいは知那美選手より本橋選手の方が上だったかもしれませんが、藤澤選手の能力発揮のためには知那美選手が必要であることは明らかでした。また、スイーパーとして、特にウェイトなどの判断については、知那美選手のセカンドよりも鈴木選手の方が優れています。
 いろいろ葛藤があった可能性はありますが、本橋オーナーの英断により、ロコ・ソラーレ中部電力を破って平昌五輪の出場を勝ち取るルートが開かれました。

 

11 独断での総評らしきもの

 この2010年代、勝負を分けたのは、もちろんスキップの出来もありますが、バイススキップの存在も大きいように思います。
 引退後の市川美余さんは、「正直、比べてほしくないほど、私より知那美選手のほうが圧倒的に(藤澤選手と)うまく接している」(竹田聡一郎氏のインタビュー)と話していますが、それでも中部電力の日本選手権4連覇は市川選手がいなかったらできなかったのではないかと思います(市川選手が引退した翌年は6位に沈みました)。フォルティウスソチ五輪の出場権を獲得できたのは、小笠原選手の盟友・船山選手がいたからに違いありません。
 吉村紗也香選手は、フォルティウス加入後は、学生時代の輝きほどは活躍できていないようにも見えました。中学同窓の吉田知那美選手の退団エピソードなどが、ひょっとしたら意識下に影響を与えていたかもしれませんが、本当のことはわかりません。今シーズンの出だしがよいのは、船山選手が一歩退き、小林未奈選手がバイススキップとして出場するようになったことで、精神的に何か変わった可能性もあります。
 そして、本橋選手。彼女はフォース(スキップ)としても、サードやセカンドとしても、この時代の競技者としては水準かそれ以上でした。ですが、一番優れていたのは、選手の適性を見て、かつ自分自身が退くという決断力にあったかもしれません。彼女の全盛期(今も現役の失礼な表現かもしれませんが)に、小笠原選手に対する船山選手、藤澤選手に対する知那美選手のような同世代の存在があればどうなっていただろうか、と考えたりもします。