ここまで「日本女子カーリング略史」を書いてきたが、もう少しアスリート個人について触れてみたい。
といっても人数が多いので、オリンピック複数回参加者に限定して、まとめることにする。なお、なるべく客観的事実を並べようとしてきた「略史」に比べると、見出しを含めて、主観が含まれる可能性が高いかもしれない。
<アルベールビル五輪から活躍したレジェンド> 大久津(瀬口)真由美
1992年アルベールビル五輪(公開競技・8チーム中8位)、1998年長野五輪(8チーム中5位タイ)など、初期の日本女子を牽引した伝説のカーラー。帯広市の東光舗道で活動していたが、長野五輪でカーリングが正式競技化されることを見据えてオリンピック用の選抜チームが作られると、そのスキップとして重責を担った。アルベールビル五輪では公開競技とはいえ全敗だったこともあり相当のプレッシャーがあったと思われるが、長野五輪では2勝(5敗)を挙げ、なんとか開催国の面目を保った。
ちなみに、ウィキペディアの英語版で紹介されているが、日本語版にはない。日本国内でもっと知られてよい人物だと思われる。
<元祖「天才少女」> 加藤章子
中学生時代に同級生の小野寺歩や林弓枝らと結成したシムソンズでスキップとして活躍し、中3で日本ジュニア選手権優勝、高1で日本選手権3位。1998年長野五輪では19歳の若さで日本代表チームに選抜された。同年にはシムソンズが世界ジュニア選手権2位、日本カーリング史上初の世界レベルの表彰台に立った。2002年ソルトレークシティ五輪には選抜チームではなくシムソンズ単独(ただし、河西建設の石崎琴美がリザーブとして帯同)で出場し、2勝7敗で10チーム中の8位。これが23歳のとき。
のちに藤澤五月などジュニア時代から活躍して天才少女と呼ばれる選手が輩出するが、加藤こそその元祖といってよいだろう。彼女がいなかったら、また、カーリングチームに同級生たちを誘わなかったら、日本女子カーリングの歴史は大きく変わっていたに違いない。
<五輪日本女子のレベルを引き上げた> 小笠原(小野寺)歩
加藤章子に誘われシムソンズで活動し、2002年ソルトレークシティ五輪に出場。その後、チーム青森で2006年トリノ五輪、結婚・出産を経て、北海道銀行(フォルティウス)で2014年ソチ五輪出場。チーム青森では「カーリング娘(カー娘)」と、出産後のフォルティウスでは「カーママ」とも呼ばれた。シムソンズではセカンドが定位置だったが、チーム青森の途中からはスキップとして活躍。トリノでは日本代表として初めて4勝(5敗)して7位、ソチではレギュラーメンバーのインフルエンザというハプニングを乗り越え、同じ4勝ながら5位に入賞。五輪参加10チーム中での中堅の地位(ということは、五輪参加外の国も含めれば世界の上位クラスといってよい)に日本を引き上げた。
個人的には、比較的簡単なショットをミスして下位チームに負けるということもあれば、スーパーショットを決めて強豪を破ることもあるという印象がある。そういうハラハラさせる面も含めて、カーリング人気を広めた功労者といってよいだろう。
2018年にフォルティウスからは退いたが、若手チームのコーチや日本カーリング協会の理事などとして活動を続けている。
<スキップを支え続けた息の長いアスリート> 船山(林)弓枝
小笠原(小野寺)歩と同様、加藤章子に誘われて、シムソンズで活動。2002年ソルトレークシティ五輪の後、チーム青森で2006年トリノ五輪、結婚・出産を経て北海道銀行(フォルティウス)で2014年ソチ五輪と3大会に出場。
加藤が日本代表チームに出向しているときや、チーム青森の一時期など、スキップ(あるいはフォース)を務めていた時期もある。が、圧倒的に、盟友・小笠原など他のスキップをサード、バイススキップとして支えていた時期が長い。小笠原がフォルティウスを離れた後も、リードとして若いスキップ(吉村紗也香)を支えている。
海外では珍しくないだろうが、二児の母になっても第一線で活躍し続けている。本橋麻里とともに、女性カーラーの選択肢を開拓しているといえるかもしれない。
<五輪で二度もリザーブとして望まれる凄み> 石崎琴美
東光舗道から河西建設に移り、2002年ソルトレークシティ五輪ではリザーブとしてシムソンズに加わった(試合出場はなし)。その後、チーム青森でリードとして2010年バンクーバー五輪に出場。のちに現役を離れ、協会役員や五輪放送の解説などで姿を見せていたが、ロコ・ソラーレにリザーブとして招かれ、2022年北京五輪では日本の冬季五輪史上の最年長メダリスト(銀メダル)となった。
近年、リザーブ(フィフス)はナイトプラクティスなど重要な役割を担っていることが知られてきた。もちろん、いつ来るかわからない自分の出番に備えておくことも必要であり、人柄だけよくて技能が伴わないというような人物が望まれることもない。二度もリザーブとして五輪出場を果たすというのは、周囲からの評価の高さを示す凄みともいえるだろう。
(敬称略・つづく)