緒方貞子さん

緒方貞子さん死去、92歳 元国連難民高等弁務官

10/29(火) 19:08配信 最終更新:10/29(火) 19:40
日刊スポーツ

日本人初の国連難民高等弁務官を務め、難民支援の先頭に立った緒方貞子(おがた・さだこ)さんが22日に死去したことが29日、分かった。92歳だった。葬儀は29日午後、都内の教会で近親者で営まれ、親交が深かった上皇后美智子さま(85)が弔問に訪れた。緒方さんと美智子さま聖心女子大の先輩後輩で、ともにテニス部。
(中略)
76年に日本人女性として初の国連公使に起用され、91年1月、国連難民高等弁務官に就任した。

00年までの任期中、イラククルド人難民、ボスニア紛争、大殺りくが起きたルワンダ内戦など各地で支援に当たった。職員1万2000人の組織のトップながら「現場主義」を貫き、身長150センチの体にヘルメットと重さ約15キロの防弾チョッキを着て難民キャンプを飛び回り、ノーベル平和賞候補にも何度も取りざたされた。29日、死去を速報した英BBC放送は「5フィート(約150センチ)の巨人」と紹介した。

02年、小泉純一郎首相(当時)から更迭された田中真紀子氏の後任として外相就任を要請されたが、「難民支援のキャリアを全うしたい」として固辞。03~12年、国際協力機構(JICA)理事長を務めた。03年、文化勲章。20年東京五輪パラリンピックでは組織委員会理事会の助言役、顧問会議のメンバーだった。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191029-10290243-nksports-soci


緒方貞子さん訃報 「信念の人」

10/29(火) 13:42配信 最終更新:10/29(火) 15:58
産経新聞
(前略)
 緒方さんが国連難民高等弁務官に就任してすぐ対応に当たったのは、91年のクルド難民危機。湾岸戦争が勃発し、イラク内で迫害を受けたクルド人勢力がイラクとトルコの国境地帯に滞留したのだ。

 国際条約上、国境を越えなければ難民として支援できないが、このとき、UNHCRの幹部職員の反対を押し切り、イラク国内でのクルド人への支援を決断した。「人の命を守るのが最優先」と揺るがない人道主義を貫いた。

 当時、東洋人女性のトップの就任に懐疑的だった職員らの評判は瞬く間に変わり、UNHCRの組織としての国際的評価も高まっていくきっかけとなった。

 冷戦が終結した後の90年代は、地域紛争とそれに伴う人道危機が多発した時代でもあった。スイス・ジュネーブUNHCRの本部を離れ、1年の半分以上は海外視察にあて、旧ユーゴスラビアからの独立を目指したボスニア紛争、アフリカのルワンダ虐殺で発生した難民の支援にも奔走。紛争当事者を相手に回してのタフな交渉力で知られ、難民が急増した困難な時代に支援活動を指揮し、国際的な尊敬を集めた。
(後略)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191029-00000544-san-int

 

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各メディア(海外での尊敬を込めた報道をを含めて)で報道されていますが、現在のところ、死因(病名)等については情報がありません。

この方を評価する切り口はいろいろあって、たぶん私ごときのブログの1記事やそこらでは書ききれないと思いますが、あえていえば、やさしさと(それを実現するための)強さとの両方を持ち合わせた方という印象です。

ご冥福をお祈りします。