大往生でなかったとしても

昨日・7月26日で、相模原障害者施設殺傷事件から3年が経ちました。
京都アニメーションの放火事件からは1週間あまりです。

それぞれ、言いたい想いはありながら、何も書けないでいたのですが、
過去記事から、今の気持ちにいちばん近いものを引用しておきます。


「終わりよければ・・・ではありますが」という2015年1月の記事です。
https://blogs.yahoo.co.jp/jukeizukoubou/33664991.html

子や孫に看取られながら大往生、という方もありますが、そして一般的には、そういう人生の方が幸せだった、と思われることが多いでしょうが、そうでない人生が、生涯を通して見た場合に不幸だった、とは限らないのではないか、とも思うことがあります。

歴史に名を残した人々の中では、たとえば、古代中国、春秋時代の斉の桓公
彼は名臣・管仲を活用し(桓公より管仲の方が有名かもしれません)、国力を向上し、他の諸侯間を調整し、「春秋の五覇」の筆頭として名を残します。が、息子たちの後継者争いのとばっちりで餓死したとも伝わっています。

日本では、たとえば幕末に活躍した坂本龍馬中岡慎太郎は、刺客の手によって若くして倒れました。

それほど有名ではなくても、世の人々に何らかの幸せをもたらし、あるいは生涯のどこかで輝くような時代があった人が、「大往生ではない最期」を迎えた例は、たぶん少なくないでしょう。

というようなことを書いたとしても、不慮の事件、事故、災害などで身内を失った人たちの悲しみは、軽くはならないと思います。

そして、「大往生ではない最期」を迎える人々を少しでも減らす努力、というようなものは、もちろん必要だろうと思います。

ですが、思わぬ形で身内と別れなければならなかった人たちが、いつか悲しみが癒えて、「生涯全体で見れば、けっして不幸ではなかったよなあ」と思えるような日が来ることを祈りたいのです。