10月28日の読売新聞「スキャナー」では、袴田巌さんの再審について書かれていました(ネット上では一般公開されていません)。
その中で、特に気になったのが、次の箇所です。
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検察幹部の一人は「有罪立証するのは、全体を総合評価した結果、袴田さんが犯人だとする証拠があるからだ」と話す一方、「捏造が認定されれば捜査機関への信頼が失われ、検察だけでなく、警察も活動しづらくなる。何としても訂正させたい」と強調する。
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実名は出ていませんが、読売新聞記者が「捏造」していない限りは、匿名取材による事実だろうと思います。
前段はともかく(詳細がわからないので)、後段は呼んで愕然としました。
いや、今回の再審決定(高裁)までで、すでに信頼は失われているでしょう。
最高裁に特別抗告する理由を見いだせなかった時点で、負け(過去の過ち)を認め、高齢の袴田さんを自由の身にすることに協力することが、捜査機関の信頼回復のための第一歩になったはずです。
それを「徹底的に争う」というか、醜くあがいて、これで検察が負けたら(負けると思いますが)、検察の権威が地に堕ちます。過去の検察ではなく現在の検察の権威が。
まさかとは思いますが、これから再審は高裁、最高裁と長くかかるから、決着がつく頃には自分たちは定年退職しているから負けても責任を取らなくてよい、などと考えている幹部はいませんかね?
そもそも、「疑わしきは被告人の利益に」が原則のはず(袴田さんが疑わしいという意味ではありません)。
無実の人間を有罪にしてしまうよりも、真犯人を有罪にできない方がマシ(袴田さんが真犯人という意味ではありません)。
それに比べたら、捜査機関のメンツなんか、塵よりも軽いはず。
そのあたりの原則と、再審申立てにかかる高裁までの状況と、全体を総合評価した結果、このような検察側の対応が行われるとは、全く不可解です。