寺沢武一さん

コブラ」漫画家の寺沢武一さん心筋梗塞で死去、68歳「コブラその人のような生命力で」
日刊スポーツ 9/11(月) 23:09配信

 SF漫画「コブラ」などで知られる漫画家の寺沢武一(てらさわ・ぶいち、本名=たけいち)さんが8日、心筋梗塞のため亡くなった。68歳だった。寺沢さんの作品の公式X(旧ツイッター)が11日、発表した。葬儀は家族葬を執り行う。

 株式会社寺沢プロダクションの古瀬学代表は「寺沢武一ファンのみなさまへ(訃報)」と題した文章をXで投稿。「漫画家・寺沢武一は2023年9月8日に永眠しました。3度の脳腫瘍の手術を経ても、コブラその人のような生命力で生き抜いてきた寺沢武一でしたが、今回は本人も不意打ちを食らってしまったのでしょう。心筋梗塞でした。ここに生前のご厚誼に深く感謝し、謹んでお知らせいたします。なお、葬儀は家族のみで行います。寺沢武一の冥福をお祈りください」とした。

 寺沢さんは1955年(昭30)3月30日に北海道旭川市で生まれ、旭川東高卒業後、浪人時代に投稿したマンガが入賞したことをきっかけに漫画界に入った。76年に上京して手塚治虫さんに師事し手塚プロダクション・漫画部スタッフとして所属したが、翌77年に「大地よ、蒼くなれ」が、手塚賞佳作に入選、同年に「週刊少年ジャンプ 増刊号」でデビュー作「コブラ」を読み切り作品として発表し、デビューした。

 「コブラ」は翌78年から「週刊少年ジャンプ」で連載を開始。左腕に光線銃サイコガンを付けた宇宙海賊コブラが、宇宙船タートル号で宇宙を駆け巡り、海賊ギルドと戦い、美女と巡り合うスペースオペラは一躍、人気漫画となり、82年7月にアニメ映画「コブラ SPACE ADVENTURE」が公開されると、同年10月7日から1983年5月までフジテレビでアニメが放送された。連載は85年まで続いた。

 また、80年代初めからPCでの創作に着目し、85年に8色のカラーマンガを「BAT」の巻頭で発表。そしてPCの進化に合わせて、92年には世界初フルCG漫画「タケル」を発表した。以降、「COBRA」「BAT」、主人公のみ実写の「GUNDRAGONシグマ」などを次々、発表するなど時代の先端をいった。単行本は十数カ国で翻訳出版され、世界各地のマンガやアニメのコンベンションなどに参加した。

 一方で、98年には人間ドックで悪性脳腫瘍が判明し、緊急手術を受けた。そのことを03年12月に公式サイトで発表。「大手術、放射線抗がん剤治療で体力はなくなり、頭髪も右半分がすべて抜け落ちてしまいました。一度目は難を逃れたものの、三年後に再発、二度目の手術で左半身にマヒが現れ、現在も杖をつき、左足をひきずって歩いている状態です。左手は握力が極端に弱くなり、原稿を押さえるのも大変です。コンピュータのキーボードも左手は使えません。右手にも若干震えが出て、残念ながら絵を描くことにも支障がでました」とつづった。

 一方で「担当医などは、ストレスのある仕事をやめて、身体を労ってくださいと言いますが……僕から描くこと、作品を作ることを取ったら何が残るというのでしょう。止める事の方がストレスがかかります。モチベーションは未だ下がっておらず、話のネタも今後百年描いても尽きないほどあります。この仕事で命を縮めることになるかもしれませんが、それも本望です。寿命の尽きるまでは作品を作り続けていく覚悟です」と生涯現役を誓った。

 そして「『コブラ』のように寺沢武一は復活します」とつづっていた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/4fe9124e73c4f40237369e4b01266ab30fdb9e04

 


コブラ』の週刊少年ジャンプ連載は、1978年~1984年。

同時期の主な連載作品は、

東大一直線』1976~1979 『こちら葛飾区亀有公園前派出所』1976~2016
リングにかけろ』1977~1981 『すすめ!!パイレーツ』1977~1980
キン肉マン』1979~1987年 『私立極道高校』1979~1980
『テニスボーイ』1979~1982 『リッキー台風』1980~1981
Dr.スランプ』 1980~1984 『激!!極虎一家』1980~1982
3年奇面組』1980~1982 『ブラック・エンジェルズ』1981~1985
キャプテン翼』1981~1988 『キャッツ・アイ』1981~1984
風魔の小次郎』1982~1983 『ハイスクール!奇面組』1982~1987
よろしくメカドック』1982~1985 『ウイングマン』1983~1985
『シェイプアップ乱』1983~1986 『北斗の拳』1983~1988
きまぐれオレンジ☆ロード1984~1987 『バオー来訪者1984~1985

(いずれも一時的な休載時期は含み、週刊少年ジャンプ以外の連載時期は含めていません。)

 

ジャンプが黄金期を迎えた頃で、この直後に『ドラゴンボール』が始まる、そういう時代でした。
コブラ』はアメコミの雰囲気もありつつ、さらに上質の作画と個人活躍型スペースオペラ(つまり集団とか国家とかに焦点が当たるのではない)の醍醐味が詰まった作品だったと思います。
一匹狼的な主人公でしたが、アメコミヒーロー(たとえばバットマンやスーパーマン)にあるような孤独な葛藤みたいなのはほぼ無縁で、勝利を得るまでに紆余曲折はありながらも、自分の力や信念に揺るぎがなく、安心して楽しめるマンガでした。

寺沢さんも、コブラのように死んだことにしながら、どこかで顔を変えて左腕に光線銃をつけて生きているのではないか、あるいは相棒のアーマロイド・レディや、コブラのライバルのクリスタル・ボーイのように身体を機械化して活躍しているのではないか、などと妄想したりします。

ご冥福をお祈りいたします。