大川小訴訟の地裁判決

学校側に過失、14億円賠償命令=管理下の児童、津波で犠牲―大川小訴訟・仙台地裁

時事通信 10月26日(水)15時12分配信)

 東日本大震災津波で犠牲になった宮城県石巻市立大川小学校の児童74人のうち、23人の遺族が、市と県に計23億円の損害賠償を求めた訴訟の判決が26日、仙台地裁であった。

 高宮健二裁判長は学校側の過失を認め、市と県に計約14億2600万円の支払いを命じた。

 裁判では、津波襲来を予想できたかや、学校管理下にあった児童を津波から安全に避難させることができたかが争点となった。

 判決は、市の広報車が「津波が松林を越えた」と避難を呼び掛けていたことを指摘。津波が学校に到達する約7分前の遅くとも午後3時半ごろまでにこの呼び掛けを聞いた段階で「教員らは大規模な津波が大川小に襲来することを予見していた」と判断した。

 さらに、避難先として選んだ堤防付近の交差点は標高7メートル余りしかなく、「予想された津波の高さは6~10メートルで、避難先としては不適当だった」と指摘。津波から逃れるのに十分な高さがある学校の裏山は、校庭から小走りで1分程度で移動でき、裏山に児童を退避させるべきだったとした。

 原告側は地震発生後に大津波警報防災無線が流され、保護者が津波警報発令を教員に伝えたことから、「津波を予測できた」と主張。同小の裏山に避難すれば助かったのに、児童を校庭で約45分間待機させた上、津波が遡上(そじょう)した近くの北上川の堤防に向けて移動させた安全配慮義務違反があったとした。

 被告側は、学校は海岸まで約4キロあり、津波浸水被害の想定域外だったため津波到達を予測できなかったと主張。裏山は崩落や倒木などの危険があり、同小校庭より約6メートル高い北上川の橋のたもとを避難先に選んだことは合理的だとしていた。

 判決によると、2011年3月11日の地震発生から津波が大川小に到達するまで51分間あった。教職員は児童を校庭に待機させた後、学校から約150メートル離れた北上川堤防付近の交差点に向け避難を開始したが、津波に襲われ、児童と教職員が犠牲になった。助かったのは最終的に学校近くの裏山に逃れた教員1人と児童4人だけだった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161026-00000075-jij-soci


大川小学校の津波訴訟 石巻市などに14億円余の賠償命令

(NHK 10月26日 18時08分)
東日本大震災津波で犠牲になった宮城県石巻市の大川小学校の児童の遺族が訴えた裁判で、仙台地方裁判所は「市の広報車が避難を呼びかけたのを教員らが聞いた時点で、津波が到達する危険を予測できた」と指摘して、石巻市などに対し原告全員に14億円余りの賠償を支払うよう命じました。

石巻市の大川小学校は、学校の管理下としては震災で最も多い74人の児童が津波の犠牲になり、このうち23人の児童の遺族は石巻市宮城県に対し1人当たり1億円、合わせて23億円の賠償を求める訴えを起こしました。
裁判では海岸からおよそ4キロ離れた小学校まで津波が来ることを学校側が予測できたかどうかなどが大きな争点となりました。

26日の判決で、仙台地方裁判所の高宮健二裁判長は、石巻市宮城県に対し原告全員に合わせて14億2600万円余りの賠償を支払うよう命じました。
判決では「津波が襲ってくる7分前の遅くとも午後3時半ごろまでには、石巻市の広報車が津波が松林を越えてきていることを告げながら避難を呼びかけたのを、教員らが聞いていたと認められ、この時点で小学校に津波が到達する危険を予測できた」と指摘しました。そのうえで、「教員らが校庭からの移動先として目指した川沿いの交差点の標高は7メートル余りしかなく、避難場所としては不適当だった。一方で、近くの裏山には小走りで1分程度で移動できたうえ、過去に学習の場などで児童も登っていた場所で、避難するのに具体的支障はなく、避難についての過失があった」と指摘しました。

また、裁判所は「教員らはみずからの判断で自主的に避難することができない児童らを可能なかぎり避難させるべき義務を負い、多少の混乱をいとわずに児童らをせかし、小走りで移動させてでも早期の避難を最優先すべきだった」という判断を示しました。
(以下略)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161026/k10010744931000.html


大川小学校の津波訴訟 争点と判決の詳細

(同じくNHKの解説より抜粋・編集)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161026/k10010745261000.html

学校まで津波が来ることを学校側が予測できたか

遅くとも津波が来るおよそ7分前の午後3時30分ごろまでには、石巻市の広報車が津波が沿岸の松林を越えてきていることを告げながら、高台への避難を呼びかけていた。

教員らはこれを聞いた段階でほどなく津波が小学校に来ることを予見できた。

地震がそれまでに経験したことのない規模であったこと
・ラジオで伝えられた予想される津波の高さが6メートルから10メートルという大きなものであったこと
北上川の河口の地区から大川小学校にかけて津波の進行を妨げるような障害物もなく、
・小学校の標高も1メートルから1メートル50センチしかなかったこと
などからすると、教員らはそのまま校庭にとどまっていた場合、児童の生命身体に危険が生じることを認識できた。

児童を校庭におよそ50分間とどめた学校側の対応

午後3時30分よりも前の段階について
地震の揺れが収まったあとも児童の下校を見合わせたのは、安全が十分確保されていないとの判断に基づいた必要な措置と言える。
裏山には土砂災害の危険があったため教員らが早期に避難しなかったのはやむをえない。

午後3時30分以降について
市の広報車が高台へ避難するよう呼びかけているのを聞いた段階では、可能な限り津波を回避できる場所に児童を避難させる注意義務があった。

原告側の主張の中には、防災無線で流れていた情報でも知ることができたはず、というようなこともありましたが、判決では市の広報車での呼びかけを重視しました。

また、市のハザードマップで大川小が津波による浸水予測地域に入っていなかったこと、同校が避難場所に指定されていたこと、などの被告側の主張については重視しなかったようです。

この裁判については、いろいろな考え方があると思います。

責任の有無やその程度、ということだけでなく、何が生死を分けたのか、
たとえば釜石の小中学生が助かった・・・
http://blogs.yahoo.co.jp/jukeizukoubou/29679984.html

・・・こととの違いは何か、みたいなことも知りたいと私は思います。