同姓の方が親しみを感じるか

前記事の補足も兼ねて、駄文を連ねてみます。



まず、
現在の制度でも、離婚時に、旧姓(婚姻前の姓)に復帰することも、現姓のままでいることも選択できるから「夫婦別姓になると、離婚に歯止めが利かなくなりやすい」とはいえない
という意味のことを書きましたが、離婚を推奨するわけでも否定するわけでもありません。

 

ただ、破綻した家庭、不仲の父母のもとで養育されることが、必ずしも子どもの最善とはいえない場合もあります。
子が「かすがい」になって夫婦関係が改善される場合もありますが、それはともかくとして、姓のことで不便になるから離婚を思いとどまるようにする、というような制度は、憲法第24条の趣旨からは邪道であるような気がします。



次に、同居者の中に別姓の家族がいる例を挙げましたが、そのうちの例2~例4の災害に伴うような場合について、そういうようなご家族を批判する意図、あるいは哀れむべきと主張する意図はありません。
また、里親家庭など、血縁ではないお子さんを育てている家庭を批判する意図、あるいは哀れむべきと主張する意図もありません。

 

それらの人々が大事に子どもたちを養育していること、子どもたちも懸命に生きていること、それらについては何もいうことはありません。
ただ、そういう人々が置かれている環境と比べれば、母(又は父)と子どもの姓が異なることぐらいは、全く問題にならないぐらい些細な話ではないか、と私は思います。



それから、同姓の方が親しみ、一体感を持てる、という考え方について。

 

実は私は、というより私の兄弟姉妹は、父方のイトコたち(同姓)より、母方のイトコたち(別姓)の方に親しみを感じていました。
これは、私たちの子どもの頃、地理的に母方の親族との方が近かった、ということが理由だろうと思います。

 

企業経営者、あるいは政治家なども、同姓の子(実の息子)ではなく、別姓の娘や娘婿が事業や政治理念などを継ぐ場合があります(世襲への批判は、ここでは割愛)。

 

これは、経営者や政治家としての資質の問題もありますが、たとえば、敬称略で、

 

 

という流れがあります。
同じ山口県内でも選挙区は違いますが、政治理念から見れば、岸氏から娘婿を経て現首相に引き継がれている、という見方は可能と思います。

 

もちろん、同姓に引き継がれる場合も多数あります。

 

 

もっとも、この両者を見ると、人物の好き嫌いは別にして、別姓である前者の方が、成功した継承という印象はあります。



山口県の話が出たので、蛇足です。

 

長州藩桂小五郎(後の木戸孝允)は、実は生家は和田家でした。
桂家の養子になりましたが、養父母とも死去したため、和田家で(桂姓として)養育されました。

 

また、吉田松陰も、杉家で生まれ、吉田家の養子となりましたが、同様の事情で杉家で(某大河ドラマのヒロインなどと同じように)養育されました。

 

うん、姓が違っても、家族としての絆や一体感に、問題はないですね。少なくとも長州藩では。

 

今の山口県出身の政治家さんたちは、どう思われますかね。