相馬市も海岸に近い方は、
東日本大震災の
津波で大きな被害を受けていますが、
内陸側(
福島市方面)から訪れると、静かな城下町という印象です。
大名としての相馬氏は、北隣の伊達氏などと激しく戦いながら、戦国の世を生き抜きました。
もともとは現在の
南相馬市に本城がありましたが、伊達氏に備えるためか、この相馬市中村に本拠を移しました。
堀の周囲の歩道には、騎馬武者の姿が。
堀の水鳥。近づいても逃げる様子がありません。
中村城は
平山城(山城、平城と対比した概念)で、少し坂道を登っていく感じです。
登っていく途中に、
二宮尊徳の座像が。(説明板の左上)
相馬からは、彼の高弟が出たようです。
本丸・
天守閣は残念ながら落雷で焼失し、その跡が藤棚になったり・・・
相馬神社になったりしています。
近くで幟をよく見ると・・・
裏側からですが、「復興祈願」という文字がよくわかります。
焼失時に
天守閣を再建しなかったのは、時の藩主が藩財政や領民への負担を考慮したから、
と伝わっています。
(参考:相馬市サイト)
相馬氏は、脚光が当たることが多い
伊達政宗から見れば敵役ということになりますが、
こういう話を読むと、好感が持てるような。