政宗と地震・津波

 
以前、「凋落の大河、健闘の朝ドラ」などと書きましたが、
最近、ちょっと変化が出ているようです(謎)←あくまで主観です。

さて、1987(昭和62)年に放映された「独眼竜政宗」。
この頃が大河ドラマのピークだったという声もあるようですが・・・(否定はできない)

伊達政宗は、近世以降の東北最大の著名人といっていいでしょう。
(平安末期まで遡れば、平泉で栄華を誇った奥州藤原氏もある。)

もっとも、敵方・ライバル(葦名・蒲生・上杉・最上・相馬など)からは、さまざまな見方があるかもしれません。

ただし、その関係は微妙で、たとえば関ヶ原戦の直前に政宗が帰国する際、相馬氏が領内通行に便宜を図り、戦後「お取りつぶし」になりかけた相馬氏を政宗が弁護した、という話もあったりします。

ところで、三陸沿岸は、昔から何回も地震津波に襲われています。

平安時代貞観地震津波)の存在が指摘されていますが、
政宗の時代にも慶長三陸津波がありました。
(1611(慶長16)年12月2日、三陸沖、M8.1)

伊達政宗領内で死者1,783人。南部・津軽で人馬3,000余死亡という。宮城県岩沼、刈田郡にも津波が押し寄せ、岩沼あたりでは家屋が残らず流出した。
相馬領での死者700人。今泉(陸前高田市)で溺死者50人、家はほとんど流された。宮古でも一軒残らず波にとられた。北海道東部にも津波押し寄せ溺死者が多かった。
【参考文献:宇佐美龍夫、日本被害地震総覧、東京大学出版会
(前述の仙台管区気象台の資料より)

これ以降も、多少なりとも仙台城が被害を受けるような地震は何度かあったようです。

ドラマでは触れられたような記憶がないのですが・・・
東北の人々は、ずっと戦って、生き延びてこられたのですね。