以前、「凋落の大河、健闘の朝ドラ」などと書きましたが、
最近、ちょっと変化が出ているようです(謎)←あくまで主観です。
最近、ちょっと変化が出ているようです(謎)←あくまで主観です。
もっとも、敵方・ライバル(葦名・蒲生・上杉・最上・相馬など)からは、さまざまな見方があるかもしれません。
平安時代の貞観地震(津波)の存在が指摘されていますが、
政宗の時代にも慶長三陸津波がありました。
(1611(慶長16)年12月2日、三陸沖、M8.1)
伊達政宗領内で死者1,783人。南部・津軽で人馬3,000余死亡という。宮城県岩沼、刈田郡にも津波が押し寄せ、岩沼あたりでは家屋が残らず流出した。
相馬領での死者700人。今泉(陸前高田市)で溺死者50人、家はほとんど流された。宮古でも一軒残らず波にとられた。北海道東部にも津波押し寄せ溺死者が多かった。
【参考文献:宇佐美龍夫、日本被害地震総覧、東京大学出版会】
(前述の仙台管区気象台の資料より)
これ以降も、多少なりとも仙台城が被害を受けるような地震は何度かあったようです。
ドラマでは触れられたような記憶がないのですが・・・
東北の人々は、ずっと戦って、生き延びてこられたのですね。