中国と周辺の歴史5

その陸 海洋地域

 

 中国の周辺地域の歴史を、香港から時計回りにざっと見ていきました。
 今度は、台湾島を含めた海洋地域を見ていきます。
 なお、尖閣諸島については、中国(中華人民共和国)も台湾(中華民国)も自国のものとして領有権を主張していますが、これは論外です。両政府とも、同海域で石油など地下資源埋蔵の可能性が確認された1968年からの領有権主張で、それまでに中国側が実効支配したことは歴史上確認されていません。清朝の最大版図を基にした内陸側の領有権問題とは、全く次元が違います。

 

 さて、台湾です。
 この島が中国の中央政府の統治下に入ったのは意外に遅く、清の初期です。
 古くから住んでいた人々は、大陸側と異なり、オーストロネシア語族に属するとみられています。フィリピン、マレーシア、インドネシアマダガスカルミクロネシアポリネシアなどの人々と同じグループです。
 明の時代にオランダ人が支配しましたが、清が大陸から明の勢力を駆逐した時代に、明の遺臣(鄭成功)がオランダ人を破って台湾を根拠地としました。そして、明朝の回復運動に尽力しましたが、結局かなわず、台湾も清が支配するところとなりました。
 ただ、清はあまり熱心には統治しなかったと見えて、「化外の地」と呼んでいました。
 時代が下り、日清戦争で清が負けたため、下関条約(1985年)により日本領となりました。
 第二次世界大戦終結により、負けた日本は台湾を放棄しました。その後、国共内戦で大陸から追い出された国民党政権が台湾に移り、澎湖諸島などの島嶼とともに、中華民国としての命脈を保っています。
 もっとも、1971年、中華人民共和国と入れ替わりに国連を追放されてからは、中華民国と国交を維持する国も減り、現実的には「台湾」が、国際スポーツ大会などでは「中華台北」(チャイニーズタイペイ)がよく使われるようになりました。

 

 その台湾が、台湾島以外に実効支配している島があります。たとえば、澎湖諸島、馬祖列島、金門島など、台湾と中国大陸との間の島です。馬祖列島、金門島などは、大陸のすぐそば、まさに最前線という位置にあります。

 なお、馬祖列島については、2020年10月から12月にかけて、海砂採取船など中国の多数の民間船舶が接近を繰り返していたとの報道があります。本来、海砂利採取は環境保護の観点から中国沿岸では厳しく規制されていて、中国当局が黙認して台湾側に圧力をかけているとの見方があります。
(リンク先記事は読売新聞2021/01/25)
https://news.yahoo.co.jp/articles/d294059dd7396946436c43a3abf03252c6b0d7e5

 

 ほかに、南シナ海南沙諸島スプラトリー諸島)の一部と、東沙諸島プラタス諸島)も実効支配しています。

 南シナ海は、中国と複数のアセアン諸国との間で領有権問題が続いていますが、台湾もこれにからんでいます。
 というか、もともとは中華民国が主張した「十一段線」を、中華人民共和国が「九段線」に修正して、南シナ海一帯の領有権を主張したことが、紛争激化の原因となっています。「十一段線」のうちベトナム戦争当時の北ベトナムの活動に配慮して二段を除去したのが「九段線」のようです。
 いずれにしても、国際法上は領有の根拠となるものがなく、2016年のハーグ仲裁裁判所判決でも、中国や台湾の主張には根拠がないと判断しています(訴えたのはフィリピン)。

 

 ちなみに、「海洋法に関する国際連合条約」では、


・「島」とは、自然に形成された陸地であって、水に囲まれ、高潮時においても水面下にあるもの(つまり、満潮時に水没するものは島ではない)
・人間の居住又は独自の経済的生活を維持することのできない岩は、排他的経済水域EEZ)又は大陸棚を有しない


とされています。したがって、
・満潮時に水没する岩に人工物を加えて海面に常時顔を出すように工事しても、領海の起点にもEEZの起点にもなりません。
・自然に形成された岩でも、常時海面上に顔を出していれば、領海の起点にはなりますが、EEZの起点としての「島」にはなりません。

 

 国際法上の判断はハーグに任せるとして、歴史上、南シナ海は中国が支配していた海域だったのでしょうか。
 基本的に、中国の王朝は大陸国家であり、海洋方面への進出は積極的ではありませんでした。ほぼ唯一の例外が、明の永楽帝の時代に、宦官・鄭和が指揮する大船団が7回も航海したことで、東南アジア、インド洋沿岸からアフリカ東岸まで達しました。ただ、このときも目的は海洋の領有ではなく、明に対する朝貢の勧奨と考えられます。裏の目的としては、永楽帝が帝位に就くときに打ち破った前皇帝(建文帝)が生き延びていないかの捜索など、信憑性は別にしていろいろあるようですが、少なくとも南シナ海の領有を目的としていなかったのは確実です。また、実際に領有はしていません。

 

(つづく)