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麻生氏 日中関係「スムーズにいった歴史ない」インドで発言

[スポニチ 2013年5月5日 06:00 ]

 麻生太郎副総理兼財務相が4日、インドの首都ニューデリーでの講演で「インドは陸上で中国と国境を接し、日本は海上接触を持っているが、われわれは過去1500年以上の長きにわたり、中国との関係が極めてスムーズにいったという歴史は過去にない」と発言した。沖縄県尖閣諸島をめぐり日中は対立。アジア開発銀行(ADB)年次総会期間中に開催される予定だった日中韓財務相中央銀行総裁会議が中止になるなど外交が停滞しており、中国側をさらに刺激しそうだ。


 共同電によると、麻生氏は主要経済団体、インド商工会議所連盟主催の講演会に出席。質疑応答で、中国とインドでも領有権をめぐる紛争があり、安全保障や海洋分野での日本とインドの関係を強化すべきではないかとの質問に対し、答えた。「自分の国は自分で守る」とした上で、日本と米国やインド、オーストラリアとの防衛協力に触れ「きちんとした関係をつくっていかなければならない」と話した。
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/05/05/kiji/K20130505005742440.html?feature=related


まあ、首相経験者の中でも失言では有名な人なので、つっこむのは大人げないかもしれませんが、
日中関係が、少なくとも今よりも良好だった時代は、けっこうあります。

過去記事で、
日本と大陸との関係でいえば、政府間で戦争していたのは、昭和20年までの一連の戦争、秀吉の時代、モンゴルが攻めてきたとき、古代の白村江の戦いあたりまでの時期、ぐらいです。
たとえば、たぶんイギリスと欧州大陸との戦いよりも少ないでしょう。
http://blogs.yahoo.co.jp/jukeizukoubou/31295886.html

と書いた人間もありますが、もう少し詳しく見ていきましょうか。

1500年前なら、だいたい、日本は飛鳥時代、中国は唐ですね。

その前、遣隋使以前からも日本は大陸から文物を輸入しているのですが、国力差が大きく(もちろん日本が弱小)、統一政権がいつ成立したのかも正確なところはわかっていないので、このあたりから始めることにしましょう。

百済復興を支援した白村江の戦いで、日本は唐・新羅の連合軍に大敗しました。
その後、大陸側からの侵攻を警戒しながらも関係を改善し、遣唐使も復活します。
平安期の途中、菅原道真の提言により廃止されるまで遣唐使は続きます。

唐の末期から五代にかけて大陸は戦乱が続きますが、宋(北宋)の時代になると、正式の国交はないものの、貿易や文化の輸入は盛んになります。
平清盛の時代から鎌倉中期にかけてですね。

その後、宋は北からの民族に圧迫され、南半を保つだけとなり(南宋)、ついには元に滅ぼされます。
ただし、経済や文化においては南宋は最後まで輝き続けました。
南宋の滅亡の際には日本に亡命する人々も少なくなかったようです。

元寇、その後の倭冦など、緊張関係が続きましたが、明の成立後は「朝貢貿易」という形にしても、交流は復活します。
余談ですが、後期の倭冦は日本人というよりも大陸側の人間が主流だったとの見方が有力です。

豊臣政権の時代にとんでもなく悪化しますが、その後の徳川政権では修復し、それなりに平穏な時代が続きます。
ちなみに、明が清に移り変わる頃、明の遺臣から幕府は支援を求められますが、断っています。
江戸幕府は、大名や民衆には厳しい政策をとったにしても、対外的には穏健路線だったといってよいと思います。

明治以降は(もめる可能性があると思うので)ともかくとして、
・唐の時代のある程度(半分くらい?)
・宋の時代の大半
・明の時代の一部
・清の時代の大半
については、「日中関係が悪かった」とはいえないのではないでしょうか。

「極めてスムーズ」とまではいえない、という反論があるかもしれませんが、海を挟んだ二国間関係でいえば、少なくとも英仏間よりは戦争の期間が短かった、とはいえるでしょう。

なお、中国の中央政権ではありませんが、平安時代の日本と渤海との関係は、「極めてスムーズ」といってよいと思います。

蛇足ですが、日本も大陸側も、政治家の質は進歩していない、というより過去よりも低下しているような感じもしています。