炎上JAL機 全員脱出の陰にあったANAスタッフの協力 SNSが称賛「会社が違っても助け合ってたんだ」「影のヒーロー」
まいどなニュース 1/5(金) 18:15配信
羽田空港で1月2日、日本航空の旅客機と海上保安庁の航空機が衝突した事故。衝突から18分間で379人(乗客367人、乗員12人)が炎上する機体から避難を完了したミッションはメディアから「奇跡」と称賛されました。そして、陰には同じ空を仕事場とする同業他社の協力がありました。
事故後、JAL機から乗客が次々脱出。付近にいたANAのグランドハンドリング(グラハン)のスタッフ約10人がすぐさま駆け付けました。ふだんは貨物を運んだり、機体を誘導する地上業務です。グラハンのスタッフは避難誘導した後、乗客のケアに努めました。何人かが「トイレに行きたい」と話したため、同社の整備士に連絡。偶然、近くにANAの小型機が駐機していたため、整備士の誘導で乗客数人がトイレを利用しました。
混乱のさなかでしたが、ANAの広報担当者は「小型機にはボーディングブリッジ(搭乗橋)がついており、整備士が乗り込んだのち、すぐに電源を入れました」と迅速な対応であったことを明かしました。
このエピソードがXで披露されると、15万を超える「いいね」が寄せられるなど話題に。「会社が違っても助け合いがおこなわれていたんですね」「ANAも協力していたなんて知らなかった」「影のヒーロー」と空の仲間の危機に駆け付けたANAスタッフの行動を称える声があがっています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3e9021282c44b3d912d027f24cd1c727451b09ab
浴衣姿の宿泊客を高台へ、避難所に大量の布団持ち込み 被災した人気旅館「加賀屋」の心意気
産経新聞 1/5(金) 16:22配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/d7d2d5066a488f3d35fb9edb9ea3d44839914c0a
こちらは七尾市の老舗温泉街「和倉温泉」の旅館「加賀屋」の話。
233ある部屋がほぼ予約で埋まり、うち8割方の客が到着済だった。
同市の最大震度は6強。間もなく大津波警報が発令され、避難所に指定されている高台の小学校などに誘導する作業が始まったという。
(以下抜粋)**********
エレベーターが止まったため、最上階の20階まで従業員が駆け上がって避難を呼び掛けた。激しい揺れのためにアスファルトは割れ、避難所まで利用客を送迎した車の何台かはタイヤがパンクしたという。足の不自由な利用客の車いすを必死に押して避難所へ連れていった。
当時、旅館内では300人程度の従業員が勤務しており、利用客の誘導のほか、避難所に布団を持ち込んだり、食事のおにぎりを届けるなど、それぞれが役割を分担して対応に当たった。張原さんは「夕食を楽しみにされていたところに起きた地震だった。みなさま、おなかをすかせていらっしゃると考え、(旅館内の)売店のお菓子も全て避難所に持っていきました」と話す。
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揺れで館内はひどい状態だといい、現在は限られた従業員のみで確認を行っている最中だ。建物の外観にもヒビが入っており、「いまは1月に予約されたお客さまにご利用ができない旨、ご説明している」とし、「いつ再開できるかは分からない」とも続けた。
そんな厳しい状況のなか、癒やしになっているのが旅館側の対応によって難を逃れた人々の声だ。X(旧ツイッター)では利用客とみられるユーザーが感謝の思いを投稿。
(略)
感謝の声は、地元住民の間からも上がっている。加賀屋などから避難した多くの観光客を受け入れた市立和倉小学校では1日の地震直後、地元住民も含めて約1400人が身を寄せ合った。
避難所の運営を担っている市職員は「来た人は拒めないので避難所に定員はない」と話すが、備蓄物資は明らかに不足。食料は加賀屋をはじめとした複数の旅館から持ち込まれた分で何とかしのいだという。
5日時点で同校に避難しているのは地元住民を中心とした約200人。電気とガスは使えるが、断水は続く。朝夕にボランティアが炊き出しを行い、昼はインスタント食品と水が配られている。エアコンが効く教室は体が不自由な人などが優先的に使い、他の人は灯油ストーブが3台置かれただけの体育館で過ごす。
金沢市在住で七尾市の実家に帰省していた田端清治さん(63)は、2日から母(89)と体育館で暮らしている。1日は学校前の坂道に車を止めて車内で一夜を明かしたが、「旅館の従業員に誘導され、寒そうにしながら校内へと入っていく浴衣姿の観光客を100人くらいは見た。その後で、たくさんの布団を荷台に積んだトラックが次々と通り過ぎていった。初めて見た光景だった」と話す。
同市在住で1日から体育館に避難している旅館従業員の男性(71)は、同日夜の状況について「たくさんの人が避難しており、布団が敷き詰められて足の踏み場もないほどだった」と振り返る。布団は加賀屋が運び込んだもので「1人ずつ配られた。これがなかったら、とても寒かったと思う。助かった」と笑顔を見せた。
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ANA(全日空)も老舗旅館も、またこれ以外にも心意気で動いた人々はたくさんあったのだろうな、と思います。
それにしても、旅館など宿泊施設というのも、いろいろ重要な資源を持っているということなんですね。