水害の記憶1

西日本一帯の、いわゆる7月豪雨から1か月以上が経ちました。

被災した多くの住宅はまだ片付いていないでしょうし、
避難したままで片付けに着手できていない状態の方、全壊の方もいらっしゃるでしょう。

その後も山形県などで豪雨災害は起こっていますし、
高気圧が日本付近に居座って猛暑をもたらしているのに台風がやってくる
(昔のイメージでは小笠原高気圧が張り出している7~8月は台風はあまり上陸しないはずだった)
ということで、本当に困ったものです。

とはいえ、水害、洪水というようなものは、昔から何度となく日本列島を襲ってきて、
そのたびに(たいていは)人々が乗り越えてきた、というのも事実ではあります。
(もちろん、街は元に戻っても、失われた生命は元に戻らないのですが・・・)


私が水害を経験したのは、ずっと以前のことです。

その頃は、避難準備情報(避難準備・高齢者等避難開始)というようなものはなく、
避難勧告、避難指示のみが出されるシステムでした。

でも、避難勧告が出たときにはすでに夜に入っていて、道路も冠水しており、避難所には行きませんでした。
その後、避難指示が出され、でも防災無線で(いわゆる垂直避難の)2階以上への避難の呼びかけがなされ、
そのまま自宅で過ごしました。

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ご近所もだいたい同様で、翌朝には窓から顔を出して、水上井戸端会議みたいなのをやっていました。
不謹慎かもしれませんが、ベニスというのはこんなところだろうか、などと思ったりもしました。

避難の判断については難しいところがありますが、このときは、

・土砂災害の危険がなく、内水がじわじわ上がってくるような地域だったこと
・(前述のように)夜間、冠水した道路で避難する方が危険だと考えられたこと

などから、2階への避難が妥当だった、と今でも考えています。
条件が違えば、また違う判断になったかもしれませんが。

雨は翌日には上がっていたと思いますが、水はなかなか引かず、3日目の朝にやっとなくなりました。
つまり、月曜の夜に浸水したとしたら、水曜日の朝までほぼこの状態だった、ということです。

(強い批判とか炎上とかがなければ、たぶん続きます。)