心理的安定と判断

久しぶりに某掲示板の議論に介入したりして、ちょっと考えてみました。
議論の本筋には関係ありませんが、他者の意見などに対する見方、評価について。


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古くから心理学の教科書などで紹介されていたりする図ですが、ちょっとアレンジしています。

自分を含めた三者関係を考えます。
自分はAさんを好意的に評価しているとします。

そのAさんがB(人間でも物でも)を好意的に評価し、自分もBを好意的に評価していたら、心理的に安定します。(ア)
Aさんも自分もBが嫌い、という場合でも安定します。(イ)

一方、自分は肯定的に捉えているBを、Aさんが否定的に見ていると不安定になります。(ウ)
自分がBに否定的で、AさんがBを肯定的な場合も同様に不安定です。(エ)

これらの場合、不安定さを避け、AさんのBに対する評価を変えさせようとしたり、自分の評価(Bに対してだけでなくAさんに対する評価の場合も)を変えようとする動きが出るとされています。


さて、それと関係があるようなないような話。

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ネット上で、特定の人物について嫌ったり、いわゆる捨てハンなどを使って攻撃したりする人間がいます。

たとえば、AさんとBさんの書き込みがあり、激しい議論になっている場合。
Aさんの書き込みの中に正しい(と自分が判断する)部分と正しくない部分があり、Bさんの書き込みの中にも両方の部分があったとします。

十分に思考が成熟した人間なら、それぞれの意見について賛否を明らかにして書き込んだり、書き込まないとしてもそれぞれの意見の有用と思われる部分のみを実生活に役立てようと思ったりします。

でも、Bさんを嫌っている人物、いわゆるBさんのアンチ、みたいな人間は、Bさんの意見の正しくない部分だけに焦点を当ててツッコミを入れたり、自分でよくわからない部分についても「Bは間違っている」などと書き込んだりすることがあります。

こういう動きは、単にBさんが嫌いだから、というだけでなく、自分を心理的に安定させるための無意識の反応、という面があるのかもしれません。

まあ、ネット掲示板ぐらいなら、(Bさんには気の毒ですが)罪は重くないのかもしれませんが、これが政治行動に結びつくと、ちょっとやっかいだなあと思います。

図のAさんの書き込み、Bさんの書き込み、というのを、政党、あるいは政治家に置き換えると、本当は(有権者が)正しいと思っていない政策が、有権者心理的安定のために「正しい(だろう)」と判断されてしまわないか。

○○党が言っているから、○○議員が言っているから正しい、というのは困りますし、
△△党が言っているから間違い、というのも困ります。

蛇足ですが、どるくすが言っていることだから正しいだろう、というのも間違いですし、
このブログに書いてあるから間違いだろう、というのも(たぶん)間違いです。