無縁仏に届く水

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うちの墓がある寺には、いわゆる無縁仏となった墓石を集めて祀ってある場所があります。

墓参りをすませた後、桶の水が余っているときなどには、その無縁仏の墓石に水を掛けて帰ることがあるのですが・・・

今日、水を掛けながら、やっと届いた無縁仏の一角に、自分自身がいるような気がしました。


自分の本体は、助けを求めて、もがき苦しんでいる。

現世を飛び回って、水を掛けている自分は、仮の姿。


そんなイメージが浮かんだとき、渇いた心に、水滴が届いた気がしました。



(これは、特にオチや解説はない予定です。)