私が首相でも東電に行く決断を・・・

躊躇したけれど、前の記事で触れてしまったので、現段階で考えていることを書いてしまいます。

まず、少なくとも、菅政権に擁護的ではないであろうと考えられる産経報道より。
<書評「原発危機 官邸からの証言」>で紹介した、福山哲朗氏とのやり取りです。
http://blogs.yahoo.co.jp/jukeizukoubou/31442600.html



「吉田さんが撤退する気ないこと、把握していた」 当時・官房副長官福山哲郎
MSN産経ニュース 2014.9.11 21:56)

 東京電力福島第1原発事故に関する政府の事故調査・検証委員会による吉田昌郎元所長ら当時の関係者の調書公開を受け、事故当時の官房副長官だった民主党福山哲郎参院議員が11日、国会内で行った記者団との主なやり取りは次の通り。

 --原発事故に関する調書が公開されたが

 「吉田調書をはじめとして、当時、原発事故に関わった主要な方々の調書が公開されたことは、この原発事故がいかに過酷であったか、難しいオペレーションであったか、それぞれの現場現場で本当にご苦労をされたか、国民にその実態がよく伝わることになるので、今後の原発政策の非常に大きな教訓になると思っています」

 --当時の官邸の対応が批判された

 「吉田所長は命を懸けて、懸命に現場の作業員を激励をしながら作業を続けてこられたと思いますので、全くそのことについては頭が下がる思いでいっぱいです。一方で、吉田さんが『撤退をしない。そんなことをするわけないじゃないか』といわれていることも私は同意します。なぜなら(事故発生3日後の平成23年3月)14日の夜、官邸の政治家に東電の(清水正孝)社長から撤退の申し入れの話があったとき、われわれは吉田所長と直接やって『まだできることはある。現場の士気は高い』という報告を受けていました。吉田所長の調書にあるように、吉田さんが撤退する気はなかったことは、われわれが全員把握している話です」

 「一方で、その状況でなぜ東電の本社側が撤退を数度にわたって官邸側の政治家に伝えてきたのか違和感がありました。吉田所長の調書で『撤退をする気はなかった』と聞いて、ごくごく当然(のこととして)、われわれは当時、吉田さんの気持ちとしては本当に頑張っておられたと受け止めていました」
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140911/trd14091121560018-n1.htm



この後、朝日新聞の報道について続きますが、読み返しても、(他の国際問題ともに)同紙報道に対する(私自身の)憤りが抑えきれなくなるので、今回は、省略。

で、時系列がわかりやすい資料ということで、やはり産経のこの記事についていた資料を使わせていただきます。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140818/plc14081805000002-n1.htm

画像ファイルは記事に掲載されていたものですが、赤色の書き込みは引用者が行いました。
 
 
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3月11日に震災、津波原発電源喪失、と来て、翌12日朝、当時の菅首相が福島第1原発を訪問しました。(A)
このことについては、賛否両論、というより批判の方が強い状況です。

私が彼の立場なら、と考えたとき、あの状況で、原発関係者(官邸詰めのフェロー氏を含む東電上層部や保安院原子力安全委)などから「あの程度」の情報しか得られなかったのなら、やはり現地訪問を決断した可能性があります。
おそらく、政権側から誰も派遣しない、という選択はしなかったでしょう。

彼のように「理系」云々ということは言いませんし(実際、いわゆる「理系」ではないし、そもそも多少の「理系」の素養があるから原発危機を理解できる、というようなレベルの話ではない)、そういう彼の言い方は生理的に好きになれないのですが、それでも、あの政権の中で他に任せられる人材がないという判断なら、一番上の人間が行く、という決断はあり得ると思います。

不謹慎といわれるかもしれませんが、歴史上の人物なら、織田信長上杉謙信だったら自分が行ったのではないでしょうか。
源頼朝徳川家康武田信玄というあたりは部下に任せそうな気がします。重要施設なら、平常時から忍びを潜入させていた可能性があります。
豊臣秀吉は(晩年の判断力の低下もあり)読みにくいところですが、壮年期までなら黒田官兵衛あたりを派遣していたかもしれません。

15日早朝の菅首相の東電本店訪問(D)は有名ですが、14日夜(B)から15日未明(C)にかけては、もっと情報がほしいところです(本店関係者の内部告発とか)。
ただ、福山氏の発言が事実なら、「吉田さんが撤退する気はなかったことは、われわれ(官邸側)が全員把握している話」なのに、「東電の本社側が撤退を数度にわたって官邸側の政治家に伝えてきた」ときに、そのこと(吉田氏の意志)を本社側に伝えなかったのか、という疑問もあります。

でも、福山氏の著書など、他の情報も総合的に勘案して、現時点では、東電上層部などの対応に(あるいは「対応」しなかったことに)一番大きな問題点があるように私は思っています。
だから、AやDの首相の動きは、当時彼が知り得た情報からは、少なくともやむを得なかった、とはいえるのではないか。
もし、それが現場にとって何らかの障害になったのであれば、それを回避するためには原発事業者の上層部としてはどのような対応をすべきだったか。

そういうことを、他の電力会社、たとえば関電などの経営陣なども、当然(他の電力会社にも悪影響を与えた東電などへの怒りを抑えながら)考えているのではないかと思います。
 
なんにせよ、「菅直人が悪い」だけで済ませてしまうのは、絶対にやめていただきたい。
政治家にせよ、他の当事者にせよ、批判や名誉回復は事後でもできないことはありませんが、
今後の原子力政策や危機管理などは、誤ると取り返しがつきませんから。