負けに不思議の負けなし

衆議院総選挙が終わりました。

 

勝ちに不思議の勝ちあり
負けに不思議の負けなし

野村克也氏が用いて有名になりましたが、これは平戸藩主だった松浦清松浦静山)の言葉と伝わっています。

ラッキーな勝利はあっても、敗戦には必ず原因がある。
与党は負けるべくして負けた。
立憲民主は、主に敵失によって議席を増やした。
このことは、野田代表も認識していることでしょう。

 

公認から外した「裏金」候補にも2000万円支給、というのもダメ出しにはなったでしょうが、旧安倍派などで不記載が問題になったときに真相が究明されず、(当事者的にはともかく)国民から見て大した処分もされずに幕引きされた時点で、ほぼ結果の方向性が決まったようなものでした。

たとえば、

「○○会長のときに△△さんが言い出して始まった」
安倍氏がやめさせたあとに幹部の□□さんが主導して復活させた」
というようなことを明言するような人物がいれば、あるいは少数の「元凶」を除いて助かり、かれらの支援を受けた高市氏が党総裁になった目もあったかもしれません。

 

総理総裁に向くかどうかは別にして、河野太郎氏の「不記載額を返納させる」という案を実行していたら、もう少し落選議員が減った可能性はありそうに思いますが、そうなると党内が持たなかったということなのでしょう。

 

メディアは、「衆議院選挙は政権選択選挙」などと言っていましたが、実際のところ、政権が多少混乱しても、今回の裏金問題はペナルティなしに終わらせてはいけない、と多くの国民が考えたのかもしれません。

 

ところで、「一票の価値の平等」原理主義者の弁護士たちが、また違憲訴訟を起こす話があるようです。

一定の人口流動がある以上、2倍程度の格差があるのはコストの範囲内、という考え方もできるし、選挙のたびに区割が変わって見慣れない候補者の中から選択しなければならない有権者の立場になって考えてほしいところですが、海外の宗教関係者にも厄介な原理主義者はいますから・・・

平等性と事務コスト等とを両立させるためには、全国を選挙区とする比例代表制ぐらいしか思いつきませんが、そういう方向で運動した方が、裁判関係者の負担も少なくなると思うのですが。