「なるべく客観的に兵庫県知事選について考える」シリーズ?の続きです。
3 井戸県政の評価は?
前記事で触れかけた、兵庫県の財政が苦しくなったことと、井戸県政との関係について。
これは「客観的数値」だけでは論じ切れないので、シリーズタイトルに関わらず、主観的な推測が入ってきます。
まず、1995年1月に起きた阪神・淡路大震災の影響が大きいのは事実です。
被災者の支援、公共施設などの復旧など、行政需要は膨れ上がりましたが、個人県民税、法人事業税など税収は落ち込みました。減免も多かったでしょう。
そして、大規模災害に対する国の支援は、現在よりも不十分な時代でした。
この震災を契機として、被災者生活再建支援法などができましたが、阪神・淡路大震災には遡及適用されませんでした。
だから、県が独自資金で行わなければならなくなった支出が、けっこうあったはずです。
井戸県政の時代に、県職員の人件費削減も行われました。
以下は、斎藤県政時代に作られた資料にありますから、斎藤氏も認めているはずです。
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県職員の人件費を削減。
もちろん知事の給与カットも。
まず手をつけたのは人件費。全職員の給与をカットするとともに職員数は10年間で3割削減しました。なお、知事や管理職等の給与カットは現在も続けています。
(「兵庫県のお金のこと。」より)
https://web.pref.hyogo.lg.jp/kk23/documents/wakmonomuke.pdf
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もちろん、井戸県政の問題点もあります。
たとえば、「創造的復興」の名のもと、ハコモノが目立ったこと。
「人と防災未来センター」(ひとぼう)など、国費が入ったにしても、県の負担が大きかったと思います。
ただ、「阪神・淡路大震災」以降の国内外の災害に対して、防災・減災・復興などの助けになったことは否定できません(たとえば次のリンク先の斎藤氏の発言)。
斎藤兵庫知事「創造的復興の理念は国内外で生かされている」 1.17のつどい
神戸経済ニュース 2024/01/17 15:30
https://news.kobekeizai.jp/blog-entry-15735.html
また、井戸氏は関西広域連合の初代連合長として、東日本大震災のカウンターパート方式の支援を推進しました。
(派遣された各自治体の職員などは負担が大きかったとは思いますが。)
このあたりを含めると、兵庫県の財政に対する負の影響はあったにせよ、社会への貢献もあったといえるでしょう。
ただし、県職員の人件費を削減しているような状況であったにもかかわらず、井戸氏は海外出張によく行っていました。
井戸氏不在時の「職務代理者」等の発表からすると、年に複数回のときもあったように思います。
政治家の海外出張が「全くの無駄」とはいいません。
首相や外相などは、海外に出ないと平常業務が務まりませんし、他の閣僚も海外での会議など、必要不可欠な場合はあります。
でも、貧乏自治体の首長に外遊が要るの?
以前、知事用公用車がレクサスからセンチュリーに「格上げ」されたときに記事を書きました(だから、ずっとセンチュリーだったわけではないけれど)。
https://jukeizukoubou.hatenablog.com/entry/2020/10/09/210152
斎藤氏は、センチュリーからアルファードに変更しただけで喝采を浴びました。
あ、でもアルファードの方が「お土産」を持ち帰りやすい?
(このあたりはアルファードにも手が届きにくい私の主観が入っています。)
井戸氏に話を戻すと、業績を全否定すべき人物ではないし、特に平時なら1期や2期ぐらい知事を務めても破綻はなかっただろうと思います。
ただ、非常時の感覚としてはどうだったでしょうか?
大災害後に、しかも国の財布が(小泉内閣などで)絞られるような時期に、5期20年もの間、たいした対抗馬が出なかった(対立候補さんごめんなさい)というのは疑問です。
この責任は、本人よりも、自民など支援し続けた主要政党の方にあるのかもしれません。
斎藤氏も、井戸県政のうち、引き継ぐべきところは引き継いでいくという方針だったと思いますし、実際、引き継がれているものはあります。
と書いてきて、斎藤氏の公約についての疑問に触れるべきときが来ました。
(つづく)