きのう、8月15日は終戦記念日でした。
どうして8月15日なのだろう、と思うことはあります。
もっと早くに終戦を迎えられなかったのか、と。
1931.9月 満洲事変
1932.3月 満洲国建国
1933.3月 日本が国際連盟脱退
1941.12月 真珠湾攻撃(対米開戦)
1942.6月 ミッドウェー海戦(空母等の戦力大幅減)
1944.3~7月 インパール作戦(甚大な人的損失)
1944.6~8月 マリアナ諸島陥落
1944.10 レイテ沖海戦(特攻隊の組織的運用開始)
1945.2~3月 硫黄島陥落
1945.3 東京大空襲
1945.3~6月 沖縄戦(その後も掃討戦あり)
1945.4 ソ連が日ソ中立条約の破棄通告(翌年4月までは有効)
1945.5 ドイツ降伏
1945.7 ポツダム宣言
1945.8 広島・長崎原爆投下、ソ連の対日参戦、日本のポツダム宣言受諾
1945.9 降伏文書調印
時期の解釈については諸説あるかもしれません。
ミッドウェー海戦で負けて、すぐに講和交渉していれば、あるいは、そもそも対米開戦しなければ、満洲等に進出しなければ、とかいろいろ考えられますが、当時の日本の状況では困難だったのでしょう。
でも、サイパンなどマリアナ諸島を失った時点で決断していれば、東京を含めた各地の空襲や、沖縄戦による壊滅的な被害はなく、そして、少なくとも組織的な特攻隊の運用も行わずに済んだといえるでしょう。
ドイツの降伏により、ほぼ一国で世界中を相手にしなければならない事態になったときに決断していれば、二度にわたる原爆投下、ソ連の参戦(千島列島等の損失)などは避けられていたでしょう。
ソ連を通じての交渉は企図していたようですが、それ以前に日ソ中立条約は破棄(といっても、厳密には不延長)されていましたし、ソ連が対日参戦の腹を決めたという情報も在外公館等から伝えられていたようです。
そういう情報を無視して、信用できない国を頼ったのが、また間違い。
なお、ポツダム宣言受諾(8/14)後も、領土欲に燃えるソ連軍が北海道にまで攻め込む勢いで進撃したのは知られています。
北方を所管する樋口季一郎中将らの奮戦がなければ、北海道はソ連支配下の「北日本人民共和国」になっていたかもしれません。
(杉原千畝さんほど有名ではないかもしれませんが、樋口さんもユダヤ人の救出に貢献しています。戦後、ソ連が樋口さんを「戦犯」にしようとしましたが、ユダヤ人のネットワークなどのロビー活動もあり、ソ連側の「逮捕」を免れたという話も。)
あるいは、ソビエト連邦のロシア共和国内の北海道自治共和国とか。
そうなると、鈴木宗男氏あたりは、名実ともにロシアの政治家になっていたかも。
寒い冗談はさておき、トップが誤ったときに、部下などが諫言するのは、とても難しいことだろうとは思います。
特攻隊といえば、パリ五輪の卓球で負傷しながらで活躍した早田ひな選手のこと。
「アンパンマンミュージアムに行きたいのと、鹿児島(知覧)の特攻平和会館に行って、自分が生きているのと卓球ができているのが当たり前じゃないことを感じたい」
という発言で、彼女のSNSのフォローを中国選手らが外した、と伝わっています。
まあ、両施設のイメージ的落差が大きくて(どちらが上という意味ではない)、ちょっと驚きましたが。
**********
私たちは、特攻隊員や各地の戦場で戦死された多くの特攻隊員のご遺徳を静かに回顧しながら、再び戦闘機に爆弾を装着し敵の艦船に体当たりをするという命の尊さ・尊厳を無視した戦法は絶対とってはならない、また、このような悲劇を生み出す戦争も起こしてはならないという情念で、貴重な遺品や資料をご遺族の方々のご理解ご協力と、関係者の方々のご尽力によって展示しています。
**********
と、知覧特攻平和会館のウェブサイトに記されています。
彼女をフォローするも外すのも、それぞれの人の自由ではありますが、特攻を賛美することを目的とする施設ではないということを、中国選手たちが知っていたかどうか。。
ところで、こういう記事もありました。
「死んでも靖国に行かない」 特攻兵の兄が遺した言葉 妹に打ち明けた敗戦の覚悟 #戦争の記憶
毎日新聞 8/15(木) 10:00配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/b08e5dde57ae50e60e75be686cc26ca1a8d66a14
45年4月。良司さん(引用者注:特攻兵である兄)が最後の帰省をした。夕食の時、良司さんは急にぽつりと言った。「この戦争は負けるよ」。登志江さん(この記事の取材相手)は「驚きました。日本は絶対勝つと思っていました。最後は神風が吹くと。そう教育されていましたから。びっくりして、雨戸を開けて外をみました。憲兵に聞かれたら大変だと思って。誰かいないかとのぞいたのを記憶しています」。憲兵は国民の反戦思想などを取り締まる役目だった。実際、聞かれたら何をされたか分からない。
良司さんは、さらに2人だけの場でつぶやいた。「死んでも靖国神社には行かないからね。天国へ行くから」
(上のリンク先の3ページ目)
特攻兵に限らず、靖国神社に祀られているという戦没者を否定したり貶めたりする意図はありません。
ただ、こういう本音を家族に語った人もいた、ということも後世に伝えられるべきだと私は思います。