クリニック放火事件1年

「孤独」と「困窮」の中で凶行に及んだか 大阪・心療内科クリニックでの放火殺人事件から1年 容疑者の足跡から見えてきた課題
TBS NEWS DIG 12/15(木) 18:38配信

26人が犠牲になった大阪・北新地で起きた放火殺人事件からまもなく1年です。容疑者の足跡をたどると「孤独」と「困窮」の中、凶行に及んだ姿が浮かび上がってきました。

大阪市内の斎場です。これらは、全て引き取り手がない無縁の遺骨です。放火殺人事件を起こして死亡した谷本盛雄容疑者(当時61)の遺骨も引き取り手がないままだといいます。<注1>

去年12月17日、事件は大阪・北新地のビルにある心療内科クリニックで起きました。谷本容疑者は持っていた紙袋を床に傾けてガソリンに引火させ、一気に火が広がったといいます。避難経路が断たれ、奥に逃げ込んだクリニックのスタッフや患者、それに容疑者本人を含む27人が死亡しました。

「拡大自殺」とも言われる事件はなぜ起きたのか。改めて足跡をたどりました。

谷本容疑者は25歳で結婚し、腕のいい板金工として働き、家族でこの家に住んでいました。しかし、2008年に離婚し、生活が一転。2011年には長男に対する殺人未遂事件で懲役4年の判決を受け、服役しました。

出所後、交友関係は、ほぼなかったとみられていますが、事件の4年前、生活保護の相談を受けていたAさんに話を聞くことができました。

容疑者から生活相談を受けたAさん
「すごく礼儀正しくて、今は反省して社会復帰したいけど、仕事をする意欲はあるが、面接までいったが、自分の前科のことをインターネットで調べられてだめになることが続いた」

当時、谷本容疑者が半年間暮らしていたのが、こちらの簡易宿舎。一泊1300円のいわゆる「ドヤ」でした。仕事も見つからず、所持金もほぼない中、谷本容疑者は生活保護を申請しましたが、受給には至りませんでした。<注2>その理由は分かりません。

相談から4年後、谷本容疑者が銀行口座から最後に引き出したのは83円で、残高はゼロでした。携帯電話には「死ぬ時くらい注目されたい」などの検索履歴が残されていました。

Aさんは、犯罪者と呼ばれた人を受け入れる社会であれば、事件は起きなかったかもしれないと感じています。

容疑者から生活相談を受けたAさん
「SOSを求めていた人が絶望して、事件を起こしてしまったというのは、社会にとっても彼1人の問題ではないんだろうなと思う」

再犯者のうち、「無職」だった人は7割あまり。事件は、今なお重い課題を突きつけています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d4a62f235bdbb04e0a3d8a5441e13d46f5090a1c

 


以下、引用者のコメントみたいなものを。

 

<注1>「谷本盛雄容疑者(当時61)の遺骨も引き取り手がないままだといいます。
 読売新聞12月17日朝刊(以下「読売」)によると、大阪市では火葬から1年をめどに保管し、引き取り手がいない場合、毎年9月に市内の無縁堂に埋葬される、とのこと。
 容疑者の子ども(や、離婚した前妻)も、ほかならぬ自分たち(長男)を殺そうとした父親(容疑者)の遺骨を引き取ろうという気にはなれなかったのだろうと思います。また、容疑者にはプラスの財産(借家)はあったにしても、マイナスの財産(少なくとも潜在的には、放火の被害者遺族に対する損害賠償・慰謝料支払義務など)が莫大過ぎて、相続放棄等の手続きは行っていると考えられます。そして、そのことは誰にも責められないでしょう。

 

<注2>「谷本容疑者は生活保護を申請しましたが、受給には至りませんでした。」
 読売には、「西淀川区の持ち家を貸し、月7万円の家賃収入が入るようになったため」とあります。
 しかし、大阪市生活保護の地域区分1級地1)なら、生活扶助だけで7万円を上回るのは確実で、医療扶助その他を考慮すれば、保護受給に至らなかった理由がわかりません。仮に最初の相談時(読売によると2017年3月)には「保護否」であったとしても、19年10月には家賃収入が途絶え、預金口座は21年1月にゼロになった(読売)のだから、それらの時点で保護申請すれば、生活保護を受けられたはず、と考えられます。この点で、どの機関、団体からでもよいから支援の手があったら、事件は起こらなかった可能性があると思います。