(六代目)三遊亭円楽さん

円楽さん訃報「笑点」メンバー【コメント全文】対面した好楽「なんで俺より先に」
デイリースポーツ 9/30(金) 22:37配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/7f61b287b3553aa38ec346e04979622c485a5139

 落語家の三遊亭円楽さんが30日、肺がんのため死去した。72歳。所属事務所が公表した。8月26日に肺炎を患い入院し、肺炎が快方に向かった後に、肺がんの治療を再開したばかりだった。円楽さんが長く出演していた日本テレビ系「笑点」メンバーは同局を通じてコメントを公表した。コメント全文は以下の通り

 

林家木久扇
訃報に接し、突然なことなので悲しみというより…表現の仕様がありません。私のことを「おじさん」と格別に呼んでくれていたお付き合いでした。がっかりです…安らかにおやすみ下さい。

 

三遊亭好楽
先程会って来ました。いい顔してました。開口一番は「なんで俺より先に逝くんだ」でした。俺より四つも若いんだよ。早すぎるよ。笑点でも落語界全体でも本当にお世話になりました。博多落語祭り、札幌落語祭り等々沢山の仕掛けをして動き回ってました。やっと休めるね。ご苦労さまでした。心よりお悔やみ申し上げます。

 

三遊亭小遊三
気丈な人だから必ず復帰してくれると信じてましたが…残念です。笑点の世話役で公私ともにお世話になりました。またゴルフ仲間でもあり、楽しい思い出がたくさんあります。まだちょっと信じられません。

 

春風亭昇太
円楽師匠の訃報にふれ言葉もありません。倒れられてからも笑点の収録に遊びに来られていて、みんなで軽口を交わした時が最後になってしまいました。とても真っ直ぐな方で、博多天神落語まつり等、数々の落語イベントを企画されるなど、落語にも真剣に向き合う姿が忘れられません。先日も国立演芸場で復帰の高座を務めたばかりで、近いうちに楽屋でお会い出来るものと思っていただけに、とても残念です。

 

林家たい平
ラジオ収録途中に入ってきた、突然過ぎる訃報に全く受け止められないのが今の気持ちです。 強い気持ちを持っている師匠でしたので、必ず戻って来てくださると信じていました。 あまりにも早すぎます、あまりにも突然過ぎます。もっと色んな話しをしたかったですし、教えてもらいたかった。落語を愛し、笑点を愛し、本当に優しい師匠でした。私が笑点に入ってから常に隣に円楽師匠がいてくれました。どれだけ心強かったかわかりません。師匠が帰って来たら、あれもしたいこれもしたいとずっと思っていたことが、もう叶えられないんだと思うと寂し過ぎます。時に兄のような存在であり、落語の大先輩であり。たくさんの教えを受けました。まだまだやり残したことがたくさんあると思います。少しでも円楽師匠の想いを繋いで行けたらと思っています。大好きでした円楽っち!はやすぎますよ!もっと一緒にいたかったです。
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笑点大喜利では「(ややきざな)インテリキャラ」「腹黒キャラ」「司会(故・桂歌丸さん、春風亭昇太さん)いじり」などで知られていますが、歌丸さんを尊敬していて二人会など仕事上のつきあいも多かったということは、知る人ぞ知る話。

 

東京の落語界は、落語協会笑点関係者なら林家木久扇さん、林家たい平さん)、落語芸術協会歌丸さん、小遊三さん、昇太さん)、落語立川流笑点の最初の出演者だった故・立川談志さん)、五代目圓楽一門会(三遊亭好楽さん)と団体が分かれています。当代の(六代目)円楽さんも、その師匠の故・五代目圓楽さんも、もちろん圓楽一門会。

ですが、落語会大分裂のときのことを知る人も徐々に世を去り、笑点で(東京の)落語家を知った人たちは、団体によってメジャーな寄席には出演できないというような風習も知らなかったりします。
(だから、団体の垣根を越えてのレギュラー出演が続いている笑点は、その点でも貴重な番組だったりします。)

 

そんな中で、(六代目)円楽さんは、独自のプロデュース活動で、団体の垣根を越えて落語ができるように努力してきたことは、もっと評価されてよいと思います。

 

圓楽」の字も、自分は「円楽」でよい、と言ったのも、六代目の襲名からだとか。

 

もっと長生きしてもらえれば、もっといろいろな働きかけが落語界にもたされたかもわかりません。

 

ご冥福をお祈りいたします。