働かないアリに意義がある

昨年読んだ本から、書評、というより個人的な感想です。

 

『働かないアリに意義がある』(長谷川英佑・著 ヤマケイ文庫)

 

本書(当初のメディアファクトリー新書版)が話題になったのは、けっこう昔だったと思います。
なので、内容や概要をご存じの方は多いかもしれません。

アリや、近縁のハチなどの社会性昆虫は、女王とワーカー(働きアリや働きバチ)により巣を営んでいます。
ところが、ワーカーの何割かは普段は働いていません。そのあたりの一般的なアリで7割とか8割とかのレベルが「働いていない」ハタラキアリのようです。


実は、昆虫の女王は、ワーカーに対して指揮命令を行っていません。
「第1小隊は部屋を掃除しなさい」
「第2小隊は食物を探しに行きなさい」
などと女王が命令することはないようなのです。

ならば、どうやって役割分担する(というより、たとえば巣の掃除に従事するアリと従事しないアリに分かれるか)というと、どれぐらい汚くなったら掃除したくなるか、というような閾値(いきち。刺激に対して反応する最低ライン)がアリによって異なり、それによって行動が分かれるということのようです。


人間の中にも、部屋にチリひとつあっても落ち着かないようなきれい好きの人と、「多少散らかっている方が機能的」などと称して、あまり気に留めない人とがいますよね。
アリの巣穴の世界では、ちょっとした汚れなら、ごくきれい好きのアリだけが働き、もう少し汚れがひどくなると、その次にきれい好きのアリが働きだし、汚れに鈍感なアリはよっぽどの汚れのときだけ働く、というような現象が起こります。

一見不合理なようですが、巣の中のワーカー全てが常に全力で働くようならすべてのワーカーに疲労が蓄積し、もっと大きな危機が起きたとき(たとえば、巣穴が崩れたり、別種のアリが攻め込んできたときなど)に対応する余力がなくなってしまいます。
(女王が、たとえばワーカーの半数を休ませて、残りの半数にだけ作業するよう命令する、ということができないことに留意。)

こういう一定割合の「働かないアリ」が存在することによって、結果としてアリは生き残り、世界中で多くの種類が繫栄するに至っています。

 

他にも、興味深い話がたくさんありますが、関心のある方は本書をご自分でお読みいただくとして、ここからは本書に触発されて私が考えたことです。

 

ヒトの集団では、特に危機が起きたときなどは、集団やそのメンバーが取るべき行動をリーダーが決定します。
(そうでない場合もありますが、会社、公的団体、国家、悪の秘密結社などは、少なくともそういうルールになっていることが多いです。)

 

リーダーが正しい判断をするためには、大きく二つの条件があります。

ひとつは、当然ではありますが、リーダーに判断力があること。
もうひとつは、リーダーのところに正確な情報が届くこと。

前者は誰でも重視しますが、後者については、あまり意識されていないことがあります。
たとえば、サービス残業
部下の能力と、処理すべき業務の量、このバランスが現場で保たれているか。
この情報が、リーダー(中間管理職だろうと集団全体の責任者であろうと)に届いていないと、戦力の振り分けについて正確な判断を行うことは困難です。
このあたりの理屈がわかっていない管理職は、営利法人だけでなく地方自治体などにも存在します。
あるいは、リーダーの不興を買いそうな情報は上に報告したくない官僚組織とか。

 

これは日本だけの話ではなく、むしろ民主主義でない諸国の方が深刻かもしれません。

 

たとえば、新型コロナウイルスの感染拡大について、中国湖北省武漢で2019年夏に始まっていた可能性が高いとする情報がありました。
https://jukeizukoubou.hatenablog.com/entry/2021/12/19/154228

真偽のほどは明らかにはなっていませんが(私は夏かどうかはともかく、公表された12月よりは多少なりとも早い時期には広がっていた可能性は十分にあると考えていますが)、もし、現場の武漢市や湖北省の当局者が、中央政府に報告することを躊躇していなかったら、そして、中央政府が早期に抑え込むか、できなかったとしてもその情報をWHOなど国外にも公表する決断を中国トップが行っていたら、中国内外でこれだけ多数の人間が生命を失うこともなかったのではないでしょうか。

習近平氏の判断力については、この際、論評しません。
習氏の判断力が優秀であったとしても、正確な情報が集まってこなかったら、正しい判断を行うことは困難ですから。

 

ホモ・サピエンスの集団は、特に権威主義国家のような存在は、ある意味、アリの集団よりも、生き残る能力が劣っているのかもしれません。